母親のなかに病がある。そういう知らせがきた。
ママ。
呼べる前は追いかけていた。
わたしはハイハイをしているのだろうか。階段を這いつくばってのぼれるようになって…..と言っても当時のわたしには言語や分別はないから、大人のわたしが翻訳をしているのだけど。
視界は甘くボヤけている。前景の四角に縁取られた階上にはラタンの引き出しと洗面台がみえる。洗面台は縦半分しかみえてない。何か忙しそうに左側の部屋に行ったり、こちらに現れたりしている緑のエプロンを着ている母。バレッタでハーフアップにしている。
磁石が相手に吸いつくことがその通りのように、ただこの人にむかっている。
好き、とか 誰、とか そういう以前の感覚。
わたしの後ろには父の気配があって、いざとなったら支えられるようにしている。
ばあちゃんは畳の上で正座して笑っていて じいちゃんはビデオを撮っている。
どうして後ろの状況までクリアに見えているのかわからない。
赤ん坊には後ろを 視る 能力があるのかもしれないし、後ろにいる 何か が伝えてくれたのかもれないし、後のわたしが記憶を都合よく構築したのかもしれない。
即日入院となって 父と面会に行った妹は、電話越しで泣いている。
母のこと父のこと、状況や自分が想ったことを、ぽつらぽつら伝えてくれる。
こういう場合、わたしはちっとも悲しくない。ふしぎなくらい普通でいる。
*
母とはいろいろあった。もっとも「苦しい」という感情をとことん体験させてくれた相手なのだ。
学生時代はその頃ネットでみつけた〈毒親〉という言葉をもって、片付けてみる。
その後は 〈宿命天冲殺〉という概念を得て、腑に落ちる。
ふたつの言葉は私を楽にさせてくれた。でも毒親の一言で終了させてしまうには、意味がありすぎる。
自分を育ててくれるのは 自分にとって「快適」「よい親・よい人」だけではないのだということ。
あらゆる意味で 母がいなければ、今の私はない。物質としても精神としても。
母と対峙し 感じた苦しみを題材に自分自身ととことん対話し、ついには忘却した果てに今のわたしがある。この母この家族でなければ算命学をやっていないだろうと思う。
今は、34年積み重なった 私という精神と 刻まれた肉体の層を、まるごと受け入れていると感じている。
知らせをうけて出てきた感覚は
おふくろ。
子宮という母の袋のなかにあった私。
暗くて ほの赤い 母の袋にいたなって。