ここのこと



丁火の女 ななこ
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― 算命学との出会い ―

「占い」は小さい頃から好きだった。魔女になる、と高校生のときまで父に言いつづけていた。
母の本棚には細木数子先生の六星占術が置いてあって それを熟読する小学生。

大学在学中に「60種類のどうぶつ占い」の精度に驚く。
そこから六十干支なるものにたどり着き 陰陽五行説の見方と生年月日を照らし合わせるうちに
性格的なもの・コンプレックス・親に「おかしい」と言われ「私はおかしいのだ」と思っていた質が
自分のせいではなく 私という個体が自然の法の一部であるゆえに そういうことに着地しているのだ、

おかしいも おかしくないも、価値的な意味付け善悪は 観察者の気分次第・時代と環境による事実外の作用、とほぐされる。



― 禅的な生活・案じたら案じたまま.. ―

20代のころ、京都は東福寺敷地内にあった精神病院(閉院)の元院長、宇佐晋一先生・森田療法に出逢う。
禅思想をくむその療法 を日常でおこなっていく日々。そこから仏教学者 鈴木大拙博士の本を手に取る。

知性でもって心を扱おう、なんとかしようと工夫すると 却って波を増幅させにっちもさっちもいかなくなる。
雷を怖がらないでおこうと用心すると、そうしようとする心と怖いという心の二つに分かれてしまう。
二つに分かれたら分かれたで そのまま放っておく。
外の大事な事柄に身体をもって取り組むと あっという間にひとつになる。

「論理・知性は 心の外」につかうもの。 お仕事や目前の事柄への工夫。
心に手出しなし。自分をこうだと決めつけることのない。


― 占いは諸刃の剣・剣を知り鞘に収める―

算命学の分析を受けとるとなぜここまで精巧に表現できるのか!と もう手をとって抱きしめたいくらい感動する。占いの助力を得ることでストンと生きることが随分楽になる。

けれどどんな占術であれ 結果はその人の全てではない。ということだ。
仮説である。遊びである。なにか道具のようなものである。
天気予報のようなものだ。「初夏・午後から雨」という言葉だ。

事実とは 雨の降り出す前の土のモワッとした匂い、鳥が急いで通り過ぎる、ザー その音、濡れた服が肌につく不快さ、温かいお風呂。

「雨」と腑に落ちたら サッと目の前の事柄にとりくんでいく。
傘を持ってもよし 雨に打たれるのもよし 家に篭るのもよし。

私が「私」とばかり決めてかかるその瞬間にも 心臓は動き 肝臓は解毒し 細胞は分裂する。
わたしは心臓も肝も 自分だというのに、見たことは一度もない。
私が思う「私」が一番偉そうに深刻になっているが 全体のどれほどの箇所だというのか。







UP DATE: 2022. 8.14