目の前に置かれる全てが奇跡のように感じる。
自動車も 花も 目の前の天麩羅に関わる全て。
ひとつひとつが 空間と時間が積み重なって 凝縮してできている。
エネルギーのかたまりである。
この自動車一台ができるまで、何人のエネルギー、知恵や技術を通ってきたのだろう。
この海老天ができるまで、海老の産卵と赤ちゃん海老の旅、そして小麦の栽培、小麦を溶き、海老に絡ませる食堂の人の調理。そもそも天麩羅を考えた人の知恵。
取るに足らない何かでさえ
ひとつとってもエネルギーの集合体である。
この世の全てが、結局、土と感じる。
花の五行の中心は「木」かと思っていた。
でも中心は土なのではないか?ある意味、。
土は上へ上へと積み重なる。
上が新しくて 下は古い。
結果(過去)が積み重なり 層というハーモニーをつくる。
この世は、ハーモニーだ。
私 以前に先祖の積み重なる生死があった。
いま私は中央にある
そしていずれ死んで土になる
だから「家系の流れ」は中央にある
中央は土だ。
物事を深刻にドラマチックに、主観で捉えるといい。
先祖から編まれるタペストリーの彩になるだろう。
司禄・禄存 、引力本能は 「剋すエネルギー」
木が土を剋す(働きかけて)エネルギーが、司禄と禄存。
なにかに働きかける、自分から事を起こす。
因果の因(手段・中央)を うけもつ。
牽牛・車騎 攻撃本能は 「剋されたエネルギー」
木が金に剋される(働きかけられる)エネルギーが、牽牛と車騎。
なにかのエネルギーをうけて動かざるをえないエネルギーのこと。
果(結果・西方)をうけもつ。