大根っ葉ごはんとババア



前回の天冲殺の頃、わたしは24歳だった気がする。

この世に生まれたその年がすでに天冲殺だったので、12の倍、うん、そうだろう。


24歳の天冲殺は、書体制作会社の新入社員していて、モニターと英語と明石海峡にもまれ ごちゃごちゃな日々を送っていた。その傍ら 禅の心に出会い、精神療法・古武術・精進料理、と無形の感覚が シン と深まっていった時期だった。





そんなことはどうでもいっか


さきほどまで私の目の前には「大根っ葉ごはん」があった。





大根っ葉ごはんは、間引き菜でつくるのがいい。

この幼く柔らかい大根の葉をよく洗って、

塩を振って、しばらくするとしんなりしてくるから、それを固めに絞ると緑のアクがでてくる。アクは捨てて、

葉っぱをアイラップのようなビニール袋に入れて一晩重しをする。


とにかく、どんなカタチであれ塩振って絞ればいいのである。
漬物道具があるのなら それにこしたことはない。







この大根っ葉ごはんのことを26歳まで忘れていた。

水上勉の『土を喰らう日々』という文庫本によって埃を被った味覚がよみがえったのである。


ちょっとその話をしていい?





天冲殺明けの静かな心持ちで、精進料理の世界に惹かれていったのは自然な流れだった。

水上氏は幼少期、禅のお寺で小僧さんをやっていたかと思う。
お寺で身につけた食の創意工夫を、老年にして軽井沢の台所で追っていくのである。



この本を開くと私は、息も白い霜降りた軽井沢の朝

土と枯れ葉の匂いがフワッとしてくるので不思議だ。




今、ページを繰ってもすぐに見つけることができなかったが

この本のどこかに「大根葉」の小話がのっていて、

細々と大根葉を塩で漬ける水上を お手伝いの女の子たちがくすくす笑うので「(この大根葉づけの滋味深さを) なんにも知らないな」というような記述があったと思う。

そして翌朝、出来上がった大根葉に醤油をたらし、米の上にのせ食べるご馳走ときたら。


そんなことが書いてあった。




わたしはそれを読んだ上で、宝塚や丹波の直売所で うろうろと「大根葉」を探すのだった。


幼い 間引き菜 はなかなか置いていない。間引く時期のみ現れる。季節が一瞬なのだ。
しょうがないから小ぶりの大根の葉っぱを刻んで、漬けてみる。


水上のように醤油を垂らして いただく。




ほわっ。


これ知ってる。




ほかほかごはんとシャキシャキでほろ苦い大根葉と、それを円満にまとめる醤油よ。
咀嚼するわたしは3歳とか4歳の幼な子に戻っていた。

同居していた父方の祖母、「ばーちゃん」がつくる食卓にたしかにあった、ことを思い出した。味覚が覚えている。

おばあちゃん というと、ハートウォーミングな心持ちになる読者が多いと思うが


わたしにとってこの ばーちゃん は「ばばあ」なのである。ばーちゃんは農家の本家の長女で、農家の血筋らしく骨太で手がゴツゴツしていて非常に強い女なのだ。《日干支・庚申》といえば算命学有識者はわかってくれるだろうか?

非常に気位が高く、お隣の中村のおばちゃんが天然パーマであることにすら「あれは嘘だ。嘘に決まっている。」とひがんでいるような女だった。ばーちゃんは人工パーマをかけていた。
私の前でも母の悪口を言う。

妹が中学生の頃など、初めて彼氏を家に呼んだ際には「ゆかこが妊娠しただよーーーーー!」と大騒ぎになった。さすがに母は呆れていた。伴侶を亡くし その頃のばーちゃんはボケ始めていた。


晩年の口癖は「かったりいかったりい」で 介護をする父(婆の息子)は、「かったりいかったりい言わないでぇぇぇぇ!!!」とよく叫んでいた。言霊というものを知らないのである。


介護も花盛りになった頃、妹が部活から帰宅すると ばばあと格闘した後であろう父が 階段の下で大の字に放心状態になっていた。そして その周りに父が職場の小学校で収穫したであろう白菜7玉と新聞紙が転がっていて、白菜と共に散らばる父のその光景は妹の笑いのツボにしっかりと入るのだった。


遺体を焼いた時は90歳近くで、灰には顎骨がまるまる残っていて、焼場の職員さんに「なかなか残っていることはない」とお褒めの言葉を親族一同受け取ったそうな。
産後間もない私は欠席したが、こんな骨太なばあさんの子孫で少し誇らしく思った。





って、大根葉の話どこいったよ。


そんな ばーちゃんは妹と押し押されるバトルをよく繰り広げていたが、長女の私を溺愛していた。一見優しそうな人柄に老人は弱いらしい。

小学校までばーちゃんが平日の食事をうけもってくれた。
ばーちゃんはこの大根っ葉ごはんをよくつくってくれた。





だから私は、

大根っ葉ごはん と 静岡茶

を一緒に食べると涙がでてくるのである。






ばばあと過ごした子どもの頃に戻ってしまう。

ソウルフードとはこのことであろう。





彼女の嗜好でトレーナーは必ずパンツインされて、幼いながらに本当嫌だったこれ。









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