フレデリックと鳳閣星



スイミーでおなじみの レオ=レオニ の作品に『フレデリック』というお話がある。


登場するのは5匹のネズミ。
来たる冬に向けて、せっせと穀物や藁を集めている。


1匹をのぞいて。


その子の名前はフレデリック。

彼が集めているのは色や言葉。
どこか眠っているようにも感じる。
穀物や藁といった物質ではないものだから、他の4匹は少し腹を立てている。



そして長い冬を迎えることになり…










真夜中に思い立ってフレデリックのぬいぐるみを買った。





自分のために ぬいぐるみは買うのは10年ぶりくらい。
このフレデリックが自分の生きざまと同調してくれているような気がして。

そして瞑想している姿がなんとも..。



生きざま..


算命学の中心星というのは 人体では 胸 で表され、心臓のようなもの。
無意識に 常に一定のリズムで稼働している心臓と それによって巡る血液のように、中心に入ってくる星というのは、今 ここ で稼働している、生きる手段(中央) であります。


生きる手段。やり方。体のどこを切っても血液が出てくるように何をしてても切り離せないご自身のスタンス。





私に循環しているのは鳳閣的な血液で
「暇」ということを大切にしている。



家庭や社会でしなければならん仕事もある。
すでに組み込まれて自分都合で動かせない動きもある。


そういった中だからこそ

何をするかを考えると同時に あそび のことを考えている。

人生のあらゆることにおいて
全体の何割かに あそび の座席を作ってから 主題の規模を決める。


あそびとは 〈遊び〉の根源である ゆとりとか余白としての 〈あそび〉。


9-10割 しき詰められた主題によって絞首されることを恐れる。

毎日が一定とは限らないから 周りとか自分の揺らぎによって その日にできなかった2割が 明日に繰り越されて明日は12割になるかもしれないし 10割が永遠に続いて鈍麻してしまうかもしれない。

概念で敷詰められた部屋には 予想外のイベントを抱えた神さまも素通りするだろう。




ゆとりによる心の静けさは 体と精神の回復に欠かせない。


風で赤松が左右に大きく揺れていることを
その背後の広葉樹が 陽だまりを細かく転がしていることを


ただ眺められる時間がある。





わたしの
「眠い。」「つくりたい。」「書きたい。」という欲求を即座に実現させたい。


遠慮がちな誰かの、親しい人の、
「助けて!」という声に サッと対応したい。


ぎゅうぎゅうのスケジュールによって身動きがとれず、「ごめんね」と言って見殺しにしたくない。



多くの人 が 多くの人 に遠慮している。

優しく 人の気持ちが分かる人ほど、遠慮してしまう。



日本の会社員の多くが
他者に対する心の窓口が営業停止か、週休5日制のように感じる。
皆、10割 詰め込んでいるのかもしれない。

(まったくチンプンカンプンな部署に配属された夫が「なんでも聞いて」と上司や同僚に言われたものの、聞くと、流されるか不機嫌になるということで悩んでいた。)





ゆとりは鳳閣の役目ではないですか。


皆が皆、鳳閣的に生きているわけではないから。


(ほかの星は ほかの星の役目があるね)





フレデリックのような人が5人に1人いること。

じぶんの中に あそんで 色や言葉を集めているようなネズミが1匹いれば 全体も個人もコケない気がする。





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