本能の裏表(伝達・習得)

算命学の話、

強化したい本能があるのなら その本能だけに着目しても枯渇するだけです。

伝えたいのであれば、考えることです。

( 伝達本能 / 習得本能 )

たとえば自分の知能よりも、難易度高めの本を読んでみる。どれくらい難しいかというと、「?」というセンテンスが時折あり、理解をするために 分解してみたり、二度、三度、改めて視線をふりだしに戻すような、「わかりそうで わかんねぇ」本のチョイスです。でも内容はわくわくするものを。それはストイックな哲学書かもしれませんし、素朴な詩歌、かもしれません。

新たな知識・言い回しのストックができるのは勿論のこと、よくストレッチされた思考によって、いざ伝えるとき、アウトプットの可動範囲が拡がっていることに気づくことでしょう。

師、でもいい。わかりそうで わかんねぇことを言う師匠。さっき仰った言葉、国語としては理解できる。けれど「ああ!なるほど」に辿り着くまでこちらが思考の迷路を足労しないとならん。それは結果として直感で「降りてくる」のかもしれない。

たどり着いたものが 師匠と重ならなくてもいい。よく考えた人は自然と、それを伝えたくなります。そしてそれは、精油のような、あなたの香りを纏うオリジナルの伝達になります。

学びたいのであれば、他者に伝えることです。

( 習得本能 / 伝達本能 )

伝えることの多くは その前に素材の組み立てがあります。自分の枠を越えて、他者に伝わるようにしないとならないのだから。礼儀として主に言葉を洗練させたり組み立てたり、語意を調べなおしたり、客観的に眺めたりします。その最中の更なる気づき、新たな学びのなんと多いことよ。

学んだ結果を伝えている時でさえ、バチバチと学びが起きてくる。復唱 & 定着 から 新たな閃きまで。これは天貴的でもある。

また、伝えることで 思わぬ方角からフィールドバックがあるかもしれません。

こうも言えます。

調舒、鳳閣が表出していないのに 文章が匠な人は たくさん本を読んできた人です。

玉堂、龍高が表出していないのに 知的な人は 伝える作業をしてきた人です。

皆、すべての十大主星をもって生まれてきたのだから 養えるところは 意図的に養えたりします。

蛇口をひねる前に、水源に着目するのです。