癸 ki

陰のの質
自然界でたとえると雨や霧、沢
水はどこにでもあり
集積すると 計り知れない力
万物の情報を記憶し
上から下に慈愛を注ぐ
そうであるなら そうであるなりに




去年の癸水

癸水の方は元来、環境環境に合わせて自分をチューニングしていきますし、痛み疲れている人・子どもや動植物をケアしようというはたらき、慈悲の世界の人です。なのですが、現実的には「俺らか」「お前らか」のように交友関係は二元的だったりします。それは好き嫌いといった選り好みではなく「別世界の人」は初期設定からして交わることなき人々なんですね。去年は人間関係が拡がっていく年でしたが、拡がるほど「俺ら」に加え「お前ら」が同時に入ってくるわけです。癸水の心は「濁」。お前らはともかく、もはや現状にそぐわなくなった「俺ら」に対し、迷い、もがき、現状脱皮をはかった癸水も多かったはず。


癸にとって癸卯年

2023年  癸水 (きすい) のテーマは「濁から純を静観する。」です。
今年の干支は《癸卯》。癸はあなたと一緒、スケールの小さな水のこと。卯という十二支は草花や生き物の時間です。癸水のあなたが「ただ、あなた」であることによって、世界に滋養が降り注ぐ1年。「ただ、あなた」とは寛ぎも力みも、濁も純もひっくるめてのこと。自身の濁りは次第に落ち着き、純な部分も明らかになっていて、そこに着目します。久しぶりに見た純な部分がすごく嬉しい。霧に霧が重なり、粒は飽和して重みをもち落下するように地上のあらゆるところに「癸」という存在を認めることができるんだけど、他の現れに浸透していくため本人そのものは直接に見えてこない。でも触れると確かに「あなた」を感じる。


ただ流れるだけ。

時代の切り替えと共に2020年後半頃からの癸水の動きには目を見張るものがありました。「命を使っていく方向」を感じ取り、引っ越し・旅立ち・独立・自立・方針変更..   いち早く身を処していく姿。癸水の何がすごいって、他の方が気づき、決意して 1年後 2年後 に腰を上げていくようなことを、ただサラリとやってみせる。「はい、もう開いてます。」って。本人としては特段、時代を読んでいるわけでも鼻息荒く行動しているつもりもないんだけれど、本当に「ただ」体が環境と共に即形状を変えていくんです。だから個人の癸さんを覗いてみても「あれ?すでにやってる。」と流れを半歩先取りしてることがよくありました。癸水にとっては意図的な読みでも霊感でも啓示でもない「自然」なんです。
今年のテーマは「独立・独歩」でもあるのですが、そういったわけで、カタチとしては去年のうちに脱皮した癸水もいるのでしょう。2023年は気持ちが追いついてきます。「ひとりでやっていくよ!」という自覚のフェーズに入ります。物理的に一人でいようが、皆といようが、「わたしってこうだった。」と自己の純性に出会い、その方向性・やり方 を最も尊重しようとする時期です。同時に、もう濁したくない、泥が沈み、やっと浮かび上がってくるクリアな部分を感じたいので人間関係において精神的な侵入、義理、忖度、争いごとを極力避けようとします。それでいて流れることをやめません。途中で余計なものが噛み付いてきても、とりあわなければ、それはあなたに何のパワーも及ぼしません。


弱さ・わからなさ

2023年のあなたは周りの人々の影響から独立した「個」であることを自覚し、情熱がある反面、ちょっと気負いすぎる傾向にあります。新生あなた、プロジェクトは物理的精神的に自立しきるには本葉が生えた小さな苗のようなもので、まだまだ保護が必要な段階なのです。そこで「素直でいること」が、とっても肝要になってきます。わからないことは「わからない。」でよくて、それを知っている方に「教えてください。」それでいいのです。あなたが30代であろうと60代であろうと、何かが始まれば「一年生」。弱くいること、守られることを許してください。弱さを認めることが今年以降も在り方になってきます。
水は情報です。あらゆるところに存在し、あらゆることを記憶します。そんな質のもとに生まれた癸水の人もまた、記憶力に優れます。それはアカデミックな知識に限らず、よくわからないけど「知っている・懐かしい」みたいな感覚的なことも含めて。守りの年なので、入っていくものも出ていくものも少ないのですが、特に今年、あなたが 学び、スキャンしたものは、良い悪い区別なく、そのまんま素直に吸収しちゃいます。未知に対して好奇心ばかりで分別を持てる段階ではないですから。そして長い間「羅針盤」として蓄積されることになります。


しごと

この時期、あなたのフォーカスは自分です。人に邪魔をされたり、明らかにしたことによって「それ、無理じゃない?」と途中でカットされることを最も恐れるので、水面下で静かにものごとを進めます。人によっては独立の気持ちが芽生えます。組織に所属している方は、福利厚生や補助金など組織に守られる立場から、自分で自分の身を守っていく新たな術、たとえば投資や副業、自給自足のノウハウを学ぶだとか、なんらかのかたちで物理的にも精神的にも独立をしたいと思います。(主婦・主夫の場合、家庭が組織です。学生の場合、家族や学校です。皆、国家が組織でもあります。) 新しく生まれたものがあれば、それは今年から5年以上かけて、ゆるやかに育まれるものだと長い目で見守ります。
今年は、この人!この本!この思想!と思ったらそこから素直に学びますが、「教える」なんてこともお得意になっていて、「教わる」経験があったからこそ、相手と肩をならべて、気の利いた小話なんかも添えて、教えることができるのです。


かんけい

クローズしています。冒頭のたとえを借りると「お前ら」のみならず「俺ら」との接触も限定されます。時間の無駄だ、イヤだと感じる誘いを断ります。自分の心に素直です。逆に、これは面白そうだ。この人とお話ししたい。という自主的な想いが生まれると交流をもとうとします。癸水の「今ではない」オーラは鈍くなければ人は察します。雨上がりに道を歩いていると、ぬかるんでいるところは直感でわかるでしょう。「あ、癸水さんは今、私とは違うところにいる。触らんどこ。」と。癸水は想いを個人的に伝えたり言い争う時はストレートなのですが「自分の在り方・主義・何者か」というものは普段から絶えず何かに滲み込ませ、間接的に匂わせているため、それが侵入者への予防線のように機能しているのです。今年はその香りが濃くなる。だから人は察します。争いは少なくなるでしょう。