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ただ人として生活をする丁火のブログです。
算命学や東洋思想にまつわることを書くときもあれば、
算命学に熱心な方をがっかりさせてしまうような、日常生活や気づきの投稿も多々。
ななこ
1990年7月21日 静岡県富士宮市に生まれ、長泉町で育つ。
学生時代に「60種類のどうぶつ占い」に感銘をうけそのルーツを辿り四柱推命を経て算命学にいたる。
心のカサブタのような10代までの家族関係、母から変だ変だ、と言われコンプレックスだった自分の性質が算命学からすると元々決まっていて、じゃあこのままでいいじゃんか、と生きることが楽になる。
2008年 高校卒業後、三島広小路の絵画教室アステールで浪人。6月 昼休みに机で伏せていると、今までにないような変な感じになる。そしてミスタードーナッツで初めてカフェオレを飲んだその夜、死ぬんじゃないか、この世がこの世じゃない感じになる。気を紛らわそうとテレビにうつる狩野英孝を見ても玉砕。手も頭も冷たくなって救急病院へ。パニック発作である。
2014年 大学卒業後、フォントの老舗メーカーに就職。
神戸六甲に住むが、国道沿いのマンションでは深夜暴走族のバイクの音でノイローゼに。2年住んでから宝塚市山本に引越す。早起きと電車通勤がシンプルに苦痛だったのと「机の上で会議やデザインをするより もっと人間の生に直結した仕事をしたい。食にかかわること、農業、医療…」とオフィスで思う。退職。1年間たくさん寝て、ゲームして本読んで、遊びほうける。ある日、北海道の農業ステイに申し込んだその週、妊娠していることに気づく。
2019年 マロを助産院で出産。絶叫。3330g 股が裂ける。
2020年 独学と趣味、常に関心事の中心である六十干支、算命学を正統に学びたくなり2020年 算命学の教室に入門。途中、ダブルスクールになる。ブログ Essay in Suchness を開設。
2022年 6月 青森市街で珈琲ゼリーを食べたあと過呼吸になり酸ヶ湯温泉ロビーで倒れる。
7月 長野で山小屋アルバイト
8月 突然、千葉県松戸市に住むことになる
2023年 北信州に移住
知人やそのご家族、ブログを読んでくださった方々からご依頼をうけたり、
どこかで覆面で相談にのる日々。
好きな食べ物 ✷ 雲丹・文旦・なめこおろし・白ごはんに緑茶かけたやつ・蓮根の天ぷら、季節の野生のもの
苦手な食べ物 ✷ 赤身以外の肉部位・サザエ・白子・アボカド・生卵・あんこ
Nanako
is a Japanese astrologer and painter.
Her astrology is called sanmeigaku 算命学 is based on the theory of Yin-Yang and the five elements.
It helps to verbalize your personality and inner soul and predicts the future from the past by using your birth date.
Finished a BA Degree in Graphic Design at the Tama Art University in Tokyo.
contact: mikawa.tng@gmail.com
― 算命学との出会い ―
「占い」は小さい頃から好きだった。魔女になる、と高校生のときまで父に言いつづけていた。
母の本棚には細木数子先生の六星占術が置いてあって それを熟読する小学生。
大学在学中に「60種類のどうぶつ占い」の精度に驚く。
そこから六十干支なるものにたどり着き 陰陽五行説の見方と生年月日を照らし合わせるうちに
性格的なもの・コンプレックス・親に「おかしい」と言われ「私はおかしいのだ」と思っていた質が
自分のせいではなく 私という個体が自然の法の一部であるゆえに そういうことに着地しているのだ、
おかしいも おかしくないも、価値的な意味付け善悪は 観察者の気分次第・時代と環境による事実外の作用、とほぐされる。
― 禅的な生活・案じたら案じたまま.. ―
20代のころ、京都は東福寺敷地内にあった精神病院(閉院)の元院長、宇佐晋一先生・森田療法に出逢う。
禅思想をくむその療法 を日常でおこなっていく日々。そこから仏教学者 鈴木大拙博士の本を手に取る。
知性でもって心を扱おう、なんとかしようと工夫すると 却って波を増幅させにっちもさっちもいかなくなる。
雷を怖がらないでおこうと用心すると、そうしようとする心と怖いという心の二つに分かれてしまう。
二つに分かれたら分かれたで そのまま放っておく。
外の大事な事柄に身体をもって取り組むと あっという間にひとつになる。
「論理・知性は 心の外」につかうもの。 お仕事や目前の事柄への工夫。
心に手出しなし。自分をこうだと決めつけることのない。
― 占いは諸刃の剣・剣を知り鞘に収める―
算命学の分析を受けとるとなぜここまで精巧に表現できるのか!と もう手をとって抱きしめたいくらい感動する。占いの助力を得ることでストンと生きることが随分楽になる。
けれどどんな占術であれ 結果はその人の全てではない。ということだ。
仮説である。遊びである。なにか道具のようなものである。
天気予報のようなものだ。「初夏・午後から雨」という言葉だ。
事実とは 雨の降り出す前の土のモワッとした匂い、鳥が急いで通り過ぎる、ザー その音、濡れた服が肌につく不快さ、温かいお風呂。
「雨」と腑に落ちたら サッと目の前の事柄にとりくんでいく。
傘を持ってもよし 雨に打たれるのもよし 家に篭るのもよし。
私が「私」とばかり決めてかかるその瞬間にも 心臓は動き 肝臓は解毒し 細胞は分裂する。
わたしは心臓も肝も 自分だというのに、見たことは一度もない。
私が思う「私」が一番偉そうに深刻になっているが 全体のどれほどの箇所だというのか。
UP DATE: 2024. 11.7