tei/hinoto

基本性格
地上の火 焚き火や蝋燭の炎、灯火
特定の範囲で 明るく 温かい
まわりが暗いと際立つ光
燃料があれば盛大に なければチロチロと
不規則に心の炎は揺れ動く
風の知らせを聞き 伝達する




季節観

昨年の丁は咳き込みながら頑張っていた。心の炎を絶やさぬように、煙をあげて、時をこえた予感や夢をキャッチできるように。とくに新暦の年末に向けては猛烈に忙しかったことと思う。ことしは丁を水蒸気爆発たらしめた雨も止み、湿度は多少あるものの、春の木気に立つ熾火(おきび)の状態=安定した高温の炭火。外界は長袖1枚でちょうどいい程に 明るく 温かく、観察者にとって 丁(火)の存在は決して目立つものではない。静けさの中、赤々と燃えているその状態に、本人が最も安らいでいることだろう。



❦ 占 ❦


心の書斎

「まだまだやることは残っているし 求められることも多々あるけれど とりあえず落ち着いたわい」と2024年は縁側でお茶を啜るいとまがある。未だ纏まっていない感じとか とっ散らかっている感じがあるかもしれないが、じきにそれらの始末をはじめつつ、暫く入室することができなかった書斎で、今、静かな時間のなかに自分がいることを噛み締めていく。喩えどおり書物にしろ、あるいは 芸術にしろ、技術にしろ、そこであなたは「古典」をじっくり味わうことや 一つの文言・技について深く考え込んだり、丁寧にヤスリをかけたりして、実直に「智」に向かっていく。古にそっと寄り添うには受け手に「静の気」がなければ真に共鳴することはできないのだと思う。少なくとも2022年から今まで丁は、動寄りの気にあって「もうそれどころじゃないんだよ!」と書斎を横目に通り過ぎていたか、パラパラーっと流し読んで印象だけを持ち帰っていたのかもしれない。一方ことしは 印象や閃きでなく、どちらかというと理屈と経験で解釈しようとするのだろう。五感で受けるものに対し、静なる感受性をもって 風情・侘び寂び を汲みとっていく。


受けとり 流していく

次々と降り積もるばかりで手入れされることのない実体験は、静の時間にあってみれば、ある法則にのっかていたことが今ではわかる。だから理解し、説くこともできるし、異なる事象ですら法則に載せ遊んでみることもできる。ことし 第一線で頑張る人 あるいは 求学する人達にむけて、あなたの知恵を分かち合うことができる。教室やワークショップの看板を掲げたり、「必要であれば」と受け身ながらも伝授することにオープンな姿勢があります。いずれも、丁自身はひっそりとあまり目立たない態度をとるのでしょうが、あなたの知性は知る人ぞ知る、それこそ今年は冒頭で書いた「春の熾火」・・・炭火のような静かで力強い知恵を受け取り、癒されたい、調理に活かしたいと思う人々もいる。その知恵はおもいのほか、受け取った他者によってのちに幅広くひろがり他分野に編み込まれることもある。

技術らしきものはもっているけれど教える立場なんて程遠いわ、と思っている方ですら 知識と体感を乳化させ、言語になおし、分類整理する作業が行われそうだ。他者に技を説明するにあたり「名もなき感覚」をなんとか言葉にするプロセスのなかで、「自分自身を読書しているような感じ」をおぼえるかもしれない。あるいは、あなたが大先生のもとについて稽古していただく機会に恵まれたり。この年、それぞれの丁は 注ぎ込まれ それを美しく編み直して 次世代に注いでいく、知性と慈しみを象徴する「水」が重力にまかせ上から下に流れていくいずれかの過程にあるのです。


火おこし

この年だからと関係なく 多くの丁にとって、クラシック・古道具・書物・お稽古・学術 …それらに親しんでいるときは心が煌々とする。消えそうな心の炎にぽっと薪を焚べられたような。山や土、岩や石、水や木々 がすでにそこにあるのに対し、火は天にしかなかったのに知性というマジックで地上に降ろすことができた。最初は雷がおちたあと火事が発生して「活用しよう」と先祖は持ち帰ったのだという。やがて木と木をすりあわせて、火を起こすことができると発見した。「目にみえる火」がなくてもどこにだって火=熱・エナジーはあるわけですが… 火は知性と素材さえあれば、ポッとそこに降霊し活用することができる。

火にとって木は母体であり知性。だから丁の人は、ご自身の知性を樹木のように真っ直ぐに出していく人。これだ!と思ったらひたすら追求する、教えを請われれば誠実に伝えようとする。ことし木気に包まれた、丁はより知性的になっている。もともと理屈屋さんだった方は理論理屈で頭がガチガチになってしまうかもしれません。学び始めると融通が利かないという面はあるけれど、伝統・正統を知って、やがてそれを土台にしつつ自分なりに「じゃあ、こんな感じは?」とアレンジ・派生しながらも生い茂る。


仕事・社会活動

昨年は体調が優れなかったり 休息や手助けを上手に活用しながら用事をこなしていたのだろうか。ことしは「持続していく賢さ」に恵まれます。昔話の「うさぎとかめ」の亀さん的な。エネルギーの積載量・目的地・ペース配分を知っていて、どこかだけを極端に疾走することがない。「ああ、これはできない」という仕事を無理に引き受けたりしないだろう。「いくぶん楽になったな。」と程良い体力には恵まれるが 今年はプレイヤーを一旦退いて監督的立場を経験する傾向にある。監督やアドバイザー・相談役・教授、自分は前に出ることを控えて後進に機会を譲る方、現場仕事が減って知的作業・後片付けが増える方・・・体を前へ前へと動かすというよりも 知性とこれまでの経験を仕事に活かそうと思う。古典や正統に惹かれるのであれば欲するままに習得するときだ。正統をきちんと学ぶことによって、美しく着崩すことができる。


人との関わり

言葉を持たない方 (乳幼児・お年寄り・動物・植物) との交流に癒される時です。適齢期の女性は妊娠しやすく、それ位の娘さんをもつ世代の方は祖父母になったり親と再び向き合う方も。教えたいという気持ちが行き過ぎると、世話焼きで過干渉となり、他者が伸びようとする力・寄り道する機会を摘み取ってしまいます。今年はあくまで、「一歩下がって」が肝。生き物であれ植物であれ、その生命が赴くままに、自分は一歩、いや、5メートルくらい後ろをついて 本当に必要があるときにそっと力添えをする。そのときに「言葉」は必要ないのかもしれない。