shin/kanoto

基本性格
自然界にたとえると鉱物・小石
特別意識・美意識 をもっていて
傷つきやすく デリケート
磨き 光を得れば 輝く美なる石
人に引き立てられ 人を引き立ていく
意味をもたされ 拝められ
そうでなくとも石ころでも




季節観

辰は晩春。生きるものの勢いが最も盛んな時期。春は金性が最も弱くなる季節。ぐんぐん伸びていく植物・蠢く微生物のどんちゃん騒ぎの下でひっそりと埋まる底石あるいは引き出しに格納された花鋏の姿。暗闇の中、誰にも干渉されずただ自分だけは根の運びを誘導していく。



❦ 占 ❦


納得いくまで

平凡な時のなかで 一つのことを納得いくまで コツコツと積み重ねていくエネルギーにある。
積み重ねるものは お金・物・行為・学び・愛憎 など人によりそれぞれだ。なにもかもを漫然と手をかけるのでなく、今年は「ひとつの対象」や「ひとつのテーマ」が自分のなかにあって、それを日々、丹念に煎じ詰ていくようだ。特に、古い物・年代物・先祖 と縁が深い1年となる。

昨年まで道楽程度だったものを今年に入って本格的に追求し始めるとか、道楽や推しを突き詰めすぎてとうとうマニアックな領域に入ってしまったとか 何かコレという向かう方向性があなたの中で固まって、その領域に足しげく通い 研究者のように手垢をつけていく。方向性がでてくるとあなたは脇目も振らないだろう。「飯食うか 没頭するか」みたいな視野狭窄な面もでやすくなっているが 日々の生活は蔑ろにしない。家のこと、子供のこと、仕事 etc.. 生きる上で必要なことはきちんとこなしていく。ただ、没入している時というのは、家族でさえ 声をかけることを遠慮してしまうような 立入禁止ムード がむんむんしている。

あなたを中心に小さな引力が宿っていて、なにごとも コツコツ ちまちま 集ってくるというのが今年の辛だ。日常や仕事でもディティールに目が向くだろう。ことしはお金も主要なテーマで、小さくてもお金が一定のリズムでちょこまか入ってきやすい。平たく言うと貯金が捗る!あなたはテトリスの石のように次々に積んでいくだろう。入ってきたものをひたすら積み続ける者もいれば、積むだけでなくちょこまか解放しようとする者もいる。どこに解放するのかというと「探求の場」なんだろうと思う。何かを学んだり分析したり突き詰めるためにお金を貯めては放流していく。

ことしの辛はオタク傾向にある。あなたは納得したい。I wonder .. の気持ちを放ったらかしにできず、しつこくアプローチしていくだろう。耳で聴く、目で見る、ペンで書く、整理し分類する、調査する、掘り下げる .. 結論そのものよりもこうして結論に出会うまでの能動的プロセスの堆積に意義がある。何らかの記録、ファイリング、ノート作成、マインドマップ、習作、スケッチ … 探求の軌跡を「実物」に残すとこれが 2026年2027年の行動を下支えしそうな感じ。こうして納得・結論に出会えるまで、一足跳びになることもなく、寄り道することもなく、確実な一歩を粘っこく繰り返していく。


家・内と向き合うとき

何らかをコツコツ積み重ねてまとまりをつくる営みもあれば、同時に、すでに凝縮した何らかのまとまりを一つ一つの要素に解きほぐしてシンプルな形に還すという営みもある。
上に「古い物・年代物 と縁がある」と書いたが、それに家のことが絡んでくるかもしれない。想い出の品・サイズアウトした子供の小さなお洋服・家族の持ち物・遺産・歴代物を「解きほぐす」行為。1年かけて実家にちょこちょこ出向いて、片付けや複雑化した家族の諸契約を整理整頓したり、相続の調停役となること。あるいはまだお乳が必要な赤ちゃん、介護が必要な家族のお世話。これらは誰から「やって!」とお願いされたわけでもなく。ただ、自分をとりまく「過去」を手入れして自分なりに「納得」したいんだというエネルギーだ。

分解されたひとつひとつの要素と丁寧に向き合って、それらに相応しい場所に再び収めていく。過去の物とじっくり向き合うとき、あなたはそこに「こういうことだったのかもな」と独自の精神的な結論に至るだろう。事実は消せないが、その事実への意味づけはあなた次第でいかようにも更新できる。

家族の手入れをする姿は奉仕的であるが、本人はいたって淡々としている。辛は宝石だから、周囲(人間) を引き立てることによって自分が引き立ち、自分が引き立つことによって周囲を引き立てる。目立ってなんぼの干であるが、ことしの活動は、陰的・内的・プライヴェート なものであり 表に出すものでもないし、誰に評価されるものでもない。むしろこういった活動が表にでて賞賛されることを、あなたは気持ち悪がるだろう。そっとしておいてほしい。「過去や家のこと」・・・明るみに出てこない暗がりを整理整頓することによって 入る物は入るし、出るものは出る、といった余地が生まれる。行き詰まったら故郷や先祖ゆかりの場所を訪ねてみるといい。


仕事・社会活動

すぐに結果を出そうとか、状況を変えようとか、誰かに認められることだとか、今ここにないものにずーっとフォーカスを当てて焦る必要は全くない。もちろん目標があると積み重ね甲斐があるのだけれど。目標をきめたら後は今を重ねるだけ。今年はプロセスを味わう時であり、「足下」を丁寧に繰り返すことに集中すればよい。繰り返しは自分と他者に「安心」の気をもたらす。

雨の日も風の日も、取り乱している日も、その場所を訪ねたらいつものお店が開いている安心感。きょうは開いていないだろう。あら?開いていた。明日も1ヶ月後も3ヶ月後も同じあなた(わたし) がいるだろうという安心が信頼を生み、仕事で生きてくる。

やるべきことがたとえ未完結であったとしても、その日その時を精一杯こなしているので、毎日が完結の大安心。職場に今日もたどり着くことができた。お茶を淹れて、作業にとりかかる。家に帰って家族のことをして、ゴミが落ちてれば拾い、布団に入る。もうそれでグッジョブなのだ。ことしは外側の仕事よりも、内側・家庭を大切にしようという姿勢になれるときで、内・家を整えることによって外の動きに安定感がでてくるものだ。


人との関わり

ことしの辛のエネルギーの向かう先は極狭く極深くというイメージで、交際も限られた範囲にとどまる。「仲間か・それ以外か」と身内意識が強くなり、新しい人間関係・刺激的な交流よりも 家族・身内・常連さん、毎日なんとなく顔を合わせている人々といった「いつメン」との交流に癒されるとき。
身内に対しては奉仕的で温かなケアをほどこしていくが、彼らにあなたの真意はなかなか伝わりづらく、感謝されることはおろか当たり前すぎて気づいてもらうこともないのかもしれない。それでも自分がそうしたいからそうしているわけで、これは一方通行で構わないという献身の姿がある。
以前はそんな気にかけてはいなかったのに、毎日会うその人に愛着を感じやすい時である。ドキドキするより安心・愛着という言葉がしっくりくる。結婚をなんとなく意識する人もいるかもしれない。恋人を自分の故郷に案内して、おじいちゃんおばあちゃんに会わせたい。過去を大切にする気持ちがよくあらわれてくる。