kou/kinoe
基本性格
堅く 大きく 上に伸びる陽の木性
松・杉・竹 といった樹木のこと
守る・貫く・維持する心
正直で堅実 そして温もりのある人柄
何かに従っているときは真心そのもの
そうでなければ 強い抵抗感をおぼえる
おそくもなく はやくもない
それでいて周囲との調和を保つ
季節観
12年で一巡する今年の甲の活力は、最盛期を一歩退いた状態。甲は2021年頃から強さが外に明らかになり2023年でピークを迎えるまで「進もう!」という外向きの活力があった。〈辰〉という今年の十二支もまた、葉や花が茂る樹木の旺地でありながら 根幹には収斂の兆しがある。エネルギーの使い方として、これ以上の発展を控え現存している活力を穏やかに保とうとする段階。
❦ 占 ❦
守りと平和
樹木は伐採がない限り、根付いた場所で肉体を全うする。成長している方向性があるとして、そこから左へ右へ、瞬時に曲がることはむつかしい。天に屋根があればじりじりと突き抜けるだろう。甲の心をもち、このページに辿り着いたあなたの心もそうなのだ。すぐには曲がれない。これは「曲がってたまるか!」という相対あっての反発心ではない。ただ、自分という生を全うしているため周りからは融通が利かなくみえるのだ。
この樹木ならではのあなたらしさ「維持・守り」の性質がより一層クリアになるのが2024年。社会はさておき、甲という個人をみたときに「平和を迎える」季節となる。
里の樹木には剪定(せんてい)という、根に養分を送るために 繁すぎた枝葉をカットする人為的作業が入る場合がある。ことしは少なくとも自分からは 大胆な剪定をすべきではないかもしれない。ここでいう剪定とは、変化や刺激を欲して外へ動き出すこと・過去を断ち切ること・急激な方向転換をすること。アナログ時計のような盤を思い浮かべて、12年で一巡するサイクルの中で、陽が昇るフェーズにいる者もいれば陽が陰るフェーズにいる者もいる。甲はこれまで盛大になる力、陽の気にまかせて目一杯エネルギーを発揮してきたため、強い剪定 (変化・行動) を加えると、その深い傷がこれから収斂していく陰のフェーズに響いてくる。生木になり全うするか 早々に死木として他者に活用される道を辿るか。しかしどちらも恐ることはない。この時期「変化を望まない」という凪を心に感じたのならば、その直観は 自然 に沿っている。
わたしたちは近くの人間や社会と響き合って存在しているため、ひとりの甲とて周りを生かすためにやむ無く剪定する(される)ときもあるだろう。甲の中には今年、ダイナミックな変化を迎える者もいる。自分は「変わりたくない」と感じている、でも周囲が動いて巻き込まれる場合。そんな時あなたは、今だけでなく今後のこと、これまでのこと、全体像をなんともなしに眺めて 無理のない形をとっていくのだと思う。ことしは職場であれ家庭であれ精神活動であれ、渦中から一歩引き下がり じっくり思案することによって現実的な解決策に至る。ことしの甲は極端ではない… 全体のバランスをはかる感覚に優れている。
昨年に引き続き、ことしの甲は強くもある。たしかに強いのだけど、力にまかせて押す・踏ん張るのではなく、ゆるみ 引いていくという後退の力があらわれてくる。エネルギーの使い方としては、わざわざアクセルを踏み込むのではなしに、これまでの勢いを活用して穏やかにクリープしていく。「これまで」が生かされてくる。ざっくり過去をみると 21年22年は行動の年、22年23年は習得の年で、これまでストックしてきた経験と学びを十分活かすことができる。陽の気にまかせて高揚していた呼吸をここでじっくり「自分なりの」ペースに還すことによって、これから入っていく陰のフェーズ(落葉し朽ち、絶たれる) をすっきり全うするこができる。
多くは語らない
あなたは自分の歩調というものを心得ていて、人生を何十年か生きてきた経験があるのなら、「この地点に到達するには多分これくらいかかるだろう。」という見込みを信頼している。その到達点が高いところでさえ「このペースでこのプロセスを辿れば」いずれ到達すると知っている。けれど、その見込まれた到達点を「わたし、会社をやめて農家に弟子入りすることにした」と吐露したが最後、「お金はどうするの!?」「あなたには無理」と性質の異なる心配屋さんから妨害をくらうこともしばしば。その方々は「このペースでこのプロセスを辿れば」を信じることができないのだろう。ことしの甲のテーマは「自分を自分で直に守ること」であり、たとえ近しい間柄であっても多くを語ることはしない。漏らせば、周囲にノイズが走る。ノイズは今の甲にとって攻撃だと感じる。余計な攻撃を受けることは避けたい。ならば ただ実行あるのみ。背中で語っていく、ことをする。
周りが ガヤガヤ・バタバタ していても、自分は口数少なに、ただ先を見据えて、今日 自分がすべきことを明日も明後日も淡々と維持していくことが甲にとっては最も最速である、という本質に還るとき。維持、とは停止ではなく動きを続けることなのだ。
仕事・社会活動
主力となってあくせく前に出るよりも、思案、アドバイス、全体の調整、など知識と経験を活かす長老役に無理がない。もし変化の多い環境であれば 周囲のペースに合わせていくことに煩わしさを感じ一匹狼的になるかもしれない。浅薄な社交、集合的価値観から身を引き、ただ、自分でありきる時。
この時期、あなたは鏡で自身の佇まいをなんともなしに眺めているように、周囲ではなく「自分」にフォーカスをあてている。ティーンのように前髪を気にしたり素敵にみえるポーズを研究する見方ではなくて、ぼーっと 美も醜も今ある全体をしみじみと眺めているような、そういう静かな見方をする。ここでじっくり自分を棚卸しすることによって現在地を把握する。力の収束を薄々かんじているのに、虚栄心から 立場を死守する姿は見苦しい。自分と小社会との接点に潮時を感じるか、育んできたものの満期を迎え、自然の流れで引退や独立する方もいる。
人との関わり
「何を考えているのか分からない」そう言われるかもしれない。この時期のあなたは秘密主義的になっていて、厳しい問いを穏やかに丸めこむ。こちらとしてはミリミリとした動きはあるものの、疾走している者にそれは静止とうつる。その人はその人、自分は自分。
樹木は生き物たちにとって食料であり休憩場所であり住まいである。そんな樹木のように周囲に対し慈愛の心をもって尽くす。安らぎを差し出すことによって、じつは自分で自分を守っていくのだ。
また、同僚であったり上司であったり 年齢や立場が近しい者よりも、グッと離れた世代との交流が「スムーズだ」と感じる。あなたが若者であればおじいちゃんおばあちゃん世代。あなたが熟年であれば孫世代。一足跳びにした世代との意思疎通が上手くいくし、なにより自分が癒される。