ki/mizunoto

基本性格
自然界でたとえると雨や霧
母のような慈しみと育みの心
静かで 優しく 知性的
水は集積すると 計り知れない力
万物の情報を蓄積する





季節観

〈辰〉は春が極まり 夏にむけて火気がいよいよ盛んになるときで、(火と対極の要素である)水の気は裏に閉じる段階にある。優しい春の雨によって土香り立ち、蛙が鳴き始める。土に生きる穀物の新芽、小さな生き物、そられの恵をいただく人々が歓迎する穀雨。



❦ 占 ❦


何言ってるのか不明、だけどおもろい

癸は自然界でいうと雨や霧、小川のようなスケールの小さなすべての水のことで、水は環境の形に「沿う」。コップに注がれればコップの形に、傾斜があれば流れができ、熱ければ上に昇る。この、環境に沿うという質が2024年2月から2026年2月の時季によくあらわれてくる。

この1年をざっくり総括すると、「抵抗感ないマイルドな年」になりそうなのだが、それは水が上から下に流れるように「環境に甘んじる」という状態になるからで、世渡りにあえて力む必要がない。岩にあえば岩があなたを迎え流し、熱にあえば熱があなたを空に飛ばす。このようにカタチとしては環境に依存するのだけど、あなたの感性そのものは絶えず敏感に揺れ動いている。とくに今年は心が裸んぼうになっていて、ものごとを素直に感受し、受け取ったものごとがなんであれ ユーモアに変えていこうとする。感じたことを、おもしろく誰かに伝えたいと思う。シェアしたいと思う。1対1の対話でもいい 外にむけて表現したり、そうでなくとも個人的な記録に残そうと思う。

ここでいう表現とは、自分が感受したエネルギーを誰かに伝えていくために漏らした産物のことで 口言葉・書き言葉・芸術作品・身体表現・技術・調理、あるいは子孫=子どものことだ。

自分の想い・エネルギーを形にしようとするときに、「どう見られたいか」と客観に配慮すると 清く正しく着付けだし、そのカチっとした工程によって「自分の生の想い」とはかけ離れた表現になってしまうことがしばしばある。大人の感性では その整った作品は作品として美であると、讃えられることもあるけれど。ことしの癸が表現していくものは、そういった大人仕様のものではないらしい。自分のなかにある「ウブな主観」をウブなまんまで放出していくようなのだ。大人になったから格好がつくだけで生の想いというの案外、拙い。拙いものには邪気がない。自分のなかにあるバブーでグズグズな部分を素直に漏らしていく。

独特で奔放な表現は キャッチする人を選ぶけれども、ことしの癸が漏らしていくもの、そこには「何言ってるのか不明だけどおもろい」「可愛い」「放っておけん」というバイブスがあり、不思議なことに多くの受け手があなたの言わんとすることに耳をすませようとしてくれる。

人によっては これまで発信しつづけてきたものが何かあって、それをぜひ支援したいのだと、より多くの人にあなたの感性を伝えていくために共に磨きをかけようとするサポーターや機関と出会えるかもしれない。あなたのデリケートな本心が、伝わるか伝わらないかはさておき 素直で拙いあなたの言い分には他者の気持ちをゆすぎ、引きつける力が宿っていて、周囲はそれを放っておかない。

ことし 表現・記録 をしていくものは、ユーモアを湛え これから先ゆっくりじっくりと年輪を増していくものだと思う。


お陰さまで

冒頭で「水は環境に沿う」とあった。ことしは主に 周囲に沿うかたちで・・・あるいはソレについて こだわっていきたい自分の意思によって「マジョリティから外れたユニークな道」に流れていくかもしれない。それはイバラの道を選ぶという自己鍛錬のイメージではなくて、もっと明るく健やかなもの。運命に任せてみたら、とか、なんかこっちの方が面白そうだから、というライトでシンプルなもの。前例のない道でさえズンズン進んでいくのだけど 数メートル後ろに保護する力がはたらいていて、道中コケても「何故か救われる」という安心のなかにある。お陰さまで、ユニークな道を自信をもって歩いていくのだろう。
実は、ことしの癸は共同作業や わちゃわちゃ を好まない。それは 音・光・味・ムード、外部の情報をありありとキャッチするアンテナが立っているためで、当本人はひとりであることが気楽ではある。テレビやスマホで余計な情報を摂取しすぎない方が、バランスがちょうどいいくらい。(この占いだってそうだ。無理せず。) 意味をもつ文字だけでなく 五感が拾うすべての感覚、食べ物さえ、情報なのだ。あなたの独特な感性が独特なままに守られますように。


仕事・社会活動

「自分が守らなきゃ」「一人前であらねば」というプレッシャーや気負いから解き放たれて、心安く動けるとき。感性がストレートに表れてくるので、仕事のなかでの「表現」に関わる分野がよく活きる。文章を綴ったり、芸術であったり、美に関わること、ものづくり、あるいは子ども関連もそうだ。このとき産み出されるものはどこか青くさく草案風なので、論理的な説得力を欠くが「なんかいいね」という論理を超えた琴線をつまびく魅力がある。自分の不得意を補完してくれる人物、ひとりではできないことを実現する規模の大きな力… 大船がきたら乗りこんでしまうことによって、あなたの独特な表現・言い分がスムーズに、より多くの人に伝わることになる。
ことし、あなたを中心にして「結びつく力」が発生していて携わった仕事やなんらかのアクションによって、あなたをほとんど抜きにして、新たな仕事や人と人とのご縁が発生することもある。


人との関わり

ひとりを好むが、人が近づいてきたらきたで、力みなく共存だってできる。コダワリが強くなり、自己主張、自己中心的な振る舞いもこの時期でてくると思う。それなのに不思議と孤独にならない。まわりにもたれかかることができるときで 声をあげれば 多くの人があなたを気にかけ関心を寄せるだろう。ものごとを動かすのは 力技・前方へ押す力 によるものだけではない、「無力の動力」を活用できるときで、自分の弱さ・ぐずぐず・今ここにいることに無抵抗になることによって環境の方が勝手に動いていくのだ。それは自力で環境を動かそうとするよりもダイナミックに。
この時期、妊娠や子どもの世界にはいりこむ方もいる。あなたがすでに親・保育者・教育者である場合、自分が大人な態度で子をきちんと保護し教育するというよりかは、子どもと一緒にあたふたし、笑い、泣き、同じ目線で付き合うことができる。だからこそ、彼らが欲求をむき出しにすると「私だってそうしたいよ(泣)」とある意味嫉妬をする。ことしは不満も喜びも素直に溢れやすいので、一時保育や父母に子を預け、自分も好き勝手やってみる、おひとりさま時間も大切にできたらいい。