bo/tsuchinoe

基本性格
自然界にたとえると神の場所 山岳
包容力と厳しさを持ち合わせる
どっしりと 動かない
生命を引きつけ遊ばせる
こころざし高いが 裾野を知る
すべての季節を内包し
天(神)と地(人) を 結ぶもの




季節観

〈辰〉は4月~5月の春と夏をむすぶ十二支。夏に向かうということは太陽が力を増すということで、生命活動が賑やかになってくる。高山はいまだ雪残るが、土壌はしっとりと湿って暖かい。微生物が振動する。山菜を求めヒグマが闊歩する。野鳥は求愛し子を育む。カタクリやミズバショウが花開く。山に住まう 生物・無生物まるごと「山」という干 (エレメント)である! 山は振動し、さらに土中の根に突き動かされ「やってこい」と樹木に解される1年。



❦ 占 ❦


晴耕雨耕

山、とはどこを指して山なのだろう。ここじゃないかな.. 指差したのなら、その先には木々も岩石も清流もある。木や石は他の質だといえばそうだが、山に抱かれているのならそれは山一体なのだ。土は唯一、他の四つの要素(木・火・金・水) を含む。このページに辿り着いた方は《戊》という陽土性・山岳のような不動の心をもつ。だからここでは山々うるさい。

「振動する。」今年の戊の様子をあらわすのならこんな感じ。こんもりした裸土が振動するのではない、そこに住まう細かな生命の波が共振して「山」は動く。率直にいうと戊は 動の気にあり「常に前進」。晴耕雨読 (せいこううどく・晴れの日には田畑を耕し、雨の日は読書する) という言葉があるけれど、ことしの戊は 晴れの日は耕し 雨の日もまた耕す。「あんた大丈夫!?」家族に言われるかもしれない。「いや、行ってくる。」 そのスピードは早くもなければ遅くもない、うさぎとかめの亀のようなもの。毎日毎日が策略抜きの前進の連続!頭脳を駆使して楽をしよう、よりスマートに辿り着こう、というんじゃない。いろいろ考えている時間に一体何ができる?その時間に足で進めるやろ、って。大丈夫、知恵はあとからついくる。

向かう先には去年から焦がれていた夢の荒畑があって開墾のため靴紐をしめる。その夢は鳥籠から空を夢見るような「自由」に関するもの。 抑圧や不自由への反発で育ったもの。

お金、練習、食事、勉強、愛情.. あるいは 恨み、怒り、我慢でさえも … それが何であれ 去年からコツコツ蓄積していたものがある人ほど今年は強い。去年がお試し期間だった方は、今年から本番だと感じるだろう。細かな事柄から大きな事柄まで「出発の手はずが整った」タイミングであったり、トンと背中を押されるような。

戊が進む時というのは「1年後、このルートを進めば こういう感じに仕上がる」と大抵、目的地の風景とそこまでの最短ルートがある。というか、できてくる。とりま動いたら方向性や目的地がクリアに見えてくるのが戊だ。ことしは「とりま」でいい。準備も目的地もありゃせんよ、という戊も動いたり行為しないではいられない、なにかに掻き立てられてアクションするやいなや「こっちだよ」と導きがあるのだと思う。

ちなみに戊がおもう最短ルートとは 特別急行 という意ではない、スタートとゴールを線で一直線につないだようなルートでありその道中は「歩き続ける」ということを選ぶ。地図上を真っ直ぐ線で引いたら当然、山にぶつかったり、集落にぶつかったりする。そこを強引にもAからZまで進んでいこうとするのが戊。なにかに焦点を合わせそこに向かってミリミリと動いていく力にかけて戊の右にでるものはいない。この真っ直ぐで純粋な鈍行列車は、途中下車はできても、折り返しができない。頭で「ちがう」とわかっていても「いや、ちがくない」と意地でも進もうとするだろう。進んでいたいのだ。「進んでいない感じ」があなたをやきもきさせる。


震えるほどの怒りと喜び

心震わすほどの「怒り」と「喜び」の感情に出会う。ここに 苦・楽 という二つの道があって、ことしの戊は言うまでもなく苦の道に関心を寄せるのでしょうが、苦しい道こそ「楽しい」と思う。楽と楽しいは同じ漢字なのにそれは同義でしょうか。変な話、逆境とか妨害に出会うほど実力を発揮する。ほら、さきほど雨でも耕しに出かけるって言ったでしょう。濡れるし、泥がつくし、誰もいない。気づけば雨と土の中でただひとり鍬を振るってる。なにやってんだ俺。でもそういうのが「楽しい」と感じる年。

または「この凡人が抜きん出るためには人と同じようにしていてはだめだ」とその気持ちなのかもしれない。何言ってるのと思われるだろうが 戊の人にとって進みたい気持ちは樹木、楽をしたい気持ちは斧のこと。たとえ話、雨の日に読書をしたら前進が途絶えてしまう気がして。ことしのあなたは純粋で真っ直ぐだから 妨害してくる者と まともに対峙せざるを得ない。言い分がなんであれ 妨害者は妨害者なのだ。目的地に辿り着くことと同じくらい、ぶつかったものに対する「怒り」から何が生まれるかも今年のテーマとなる。


仕事・社会活動

あなたが 医師・開業助産師・登山家・政治家・乗り物の操縦者・現場監督・・・命を抱える現場の引率者や単独プレイヤーであるのなら「あれ、変だ」と違和感を抱えたら早々に教えや助けを仰いだほうがいいかもしれない。場合によっては同僚や他の機関に投げることも。なんせことしのあなたは信念に加え「進む」以外の選択をすることがむつかしい。周囲から指摘が入るかもしれない。耳が痛い意見をあなたは突っ返したくなるだろう。進むことをやめるには他者や運命によって打ち切られるしかないのだ。
反して、(仕事にかかわらず) 個人のプロジェクトにいたっては今年、馬鹿正直でいいと思う。賢く思考を働かせて何もやらないことより心の熱感のまま体を動かした方が却ってハートは堅固になる。とくに思考よりも体をつかって動きたいという気持ちは戊にとって樹木。動くほどに、根にほぐされ侵食され土砂崩れを防ぐのに役に立つ。「やっぱだめでした」とたとえそれが玉砕という結果であってもそれはプロセスであり、自分を丈夫にする。瓦礫や粗相は来年、あなたが責任持って回収するだろう。今は形をつくって遊んでみる時。


人との関わり

他者や社会の風潮に対し 「VS バーサス」な気持ちが強くなる。特に、進もうとする道を覆うものに応戦しようとする。「どいてください。どかない?じゃあそのまま進みますね。」て。あなたにも私にも誠実でいよう、曖昧な状態を明らかにしようとする心から 炎上を恐れない挑発的な振る舞いがでてくるだろう。意見を求められれば、忖度なしの「生の意見」があなたの口からでてくる。それで軋轢が生じる関係なら、その程度…。そう割り切ることができるのもこの年の特色だ。この年運もそうだが、気分(年運ならその一年の気分)には「旬」があって、旬を回避するのでなく旬に素直であることにより 結ばれるものとは結ばれ 落ちるものは落ち、自分の命をそれらしく全うすることができるのだと思う。ひとつの旬(気分・ ムード) はずっとここにあるような気がして、ずっと続くとは限らない。2025年のあなたは今年ほど愚直になれないと思うから。