直観の母体



「カタチを忘れる」という用きこそ
直観の土台となる



付箋した あの一句を忘れる

師の言葉を再現できない

樹木に当たった西陽の色、影の動きを忘れる

雲のかたちがゆっくり移う



そのカタチが通った感覚は残っているんだけど、という状態



浜になぞった線が 波のたびに抽象になるような







本を読む、経験する、旅に出る、言葉を捉えようとする




出逢ったすべてのカタチをそのとおりに再現できたのなら、真の直観は発動しないのだと思う。






わたしたちは、さまざまな 形・象 (カタチ) に出逢い、曖昧なかたちとかたちが溶け合って、そこから「自分なりのカタチ」を直覚する。


直観の受精卵は それを受けた者の胎内で温められ 可視・体現化 され またカタチに還ってゆく。








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