本と畑とインドネシア人についての雑談




最後の積雪から、雪がすっかり解けてしまうまで私はたくさんの本を読みました。

この量はわたしにとって「たくさん」です。


本を読むペースは非常に遅いのです。
わからないところをすっ飛ばす、流して読む、ということができなくて。


一番下の井筒先生訳『ルーミー』詩集はまだ途中です。




身近な人の死に瀕して、宗教や霊性についての本に落ち着きます。








母がもう間もなくこの世を終えようとしています。


母の寝床は2階で、より生活の場に近い1階に移動させるために、私たちが滞在するゴールデンウィークをつかって、私の妹・夫・私の3人で マットレスを あーだこーだー言いながら降ろしていました。

作業が終わって、妹と母がなにやら 込み入った話をしているようです。

部屋から出てきた妹に
どうしたの?と聞くと

妹はわたしをひっぱり別室へ。

小刻みに震える妹。

え。なに?

「 …… ◯◯さん(私の夫) はインドネシア人じゃないの?って聞かれたッ….」と吹き出しました。



私も同時に吹き、涙がでるほど笑いました。



「ママが 、◯◯さんがインドネシア人だというから 私、『◯◯さんは大阪の人だよ』と言っても首を傾げているから本気で思っているんだとおもう。」

妹は、母のビジョンにではなく、義兄の人柄を想って笑っています。

くるくるの天然パーマの小太りで いつも穏やかで優しい私の夫に、母がインドネシア人をみたことに。なぜ唐突にインドネシア… と考えると、インドネシアは母が大学卒業の頃に友人と旅行をした国でした。







宗教も霊性も死も、とても遠くにあるようでいて いつもぴったりとここにあり、現に、生を稼働させているのもそれらのお陰なのだと思います。


もう何の文章ものみこめなくなって文章を書く欲もなくなって、読書のシーズンが頭打ちしたと感じた頃、畑の季節になっていました。


種子を蒔くことが肝心です。

でないと何も始まりません。

獣や虫に食べられちゃうとか、そもそも発芽さえしないとか、そういうことが多々ありますが 蒔かないと本当に何も始まらない。

まだストーブをたいているうちに夏を想い種子をまくのです。





剪定した木々で畑にアーチをこさえています。
このブログを書き終えたら、上のドーム部分に着手します。

子どもが小学校で育てた朝顔の種子を私が受け継ぎ、アーチに這わせてみるつもりです。




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