こちらから良かれと思いアドバイスを与えときに「わかった」だとか「そうだよね」「やってみようかな」と返答して 後に その人はアドバイスをみじんも、あるいは申し訳程度しか採用していないなんてシーンはよくある。
それ、人情的なものの見方をすると アドバイスを受けた側が 怠惰か馬耳東風にみえる。
けど それはその人の「本質」であり「生きる術」である。
算命学において 人間の本能を 五分類したときに
守備本能 という一分類が生まれる。
守備・伝達・引力・攻撃・習得 とあったうちの、「守備」だ。
攻撃本能と表裏一体の関係となる。
守備本能 =keep, stay, save, continue
守備本能 → (陽) 貫索星 , (陰) 石門星
貫索星・石門星の星が人体星図に表出している人は
「わかった」→ やらない
という処世術をする傾向にあるといえる。
これは彼らの 処 世 術 なのだ。
貫索は シンプルに やらない だけで
やらない理由を問うても濁すか黙している。
石門星の場合は むしろ他者の意見を取り入れ確信を得たい
しかし不要なアドバイスに対しては
貫索より いい意味でイヤらしく
アドバイスを言う側の心情を 穏やかにさせるよう
カモフラージュしながら
結局 芯の部分では 不変である。
(石門が自ら「これどうかな?」とアドバイスを求める
ときは 自分にとって甘い意見も辛い意見も汲もうとしている)
アドバイスが気に食わないなら「いや、いいよ」と言えばいいものの
なぜ彼らは「わかった」と言うのか。
それがアドバイス言う側からしたら 意味不明でムッとくるポイントなのかもしれない。
「いや、いいよ」というのは 反抗反発になる。調舒星的だ。
それは既に守備を通り越している。
守備の本質は、現状維持
何も足さない 何も引かない
彼らの目的は 自分の世界を 「守る」こと。
通常、それを遂行するには「いや、いいよ」という
ピリっとしたものより「わかった」と
言っておいた方がその場では 最も安全なのだ。
(アドバイス言う側がもっとも丸く収まる言葉が
別の言葉なら それを採用するだろう)
門前払いしている。
特に貫索は
自分のことを意識(比和)している。
鏡で枠に切り取られた自分の姿と風景だけを見つめている。
だから自分に磨きがかかる。
彼らには方針や信念・哲学が既にあって
それを貫こうとしている。
その力が 彼らの持ち味。
平日のお昼時のカフェは ママ友同士の来客が多い。
こちらが読書をしていると否応なく会話が耳に入ってしまう。
「上の子は 口ばっかりで返事はいいけどやらないの」なんて会話を耳にする。
中心星に 玉堂をもつ子どもの「有限不実行」は
口達者ゆえ 自己弁護に向かっているかもしれないが
中心星 貫索 の子どもの「有限不実行」は
芯に 自分なりのペースや方向性 がある可能性が高い
靴下脱ぎっぱなしとか体操着を洗濯機に入れないとか
生活がおよそにいって親がウンザリしてしまう場合には
親自身が「どうしたいか」家のルール・自分の要望を伝え
子ども自身に子どもが守るべきルールを制作してもらい
(100均でお仕事管理ボードを作るとか、籠設置とか)
それを運営してもらうことがいいと思う。
わたしは 2歳の子までしか生身の子どもの観察を経験してなくて
それより大きな子どもの複雑な 行動・心理
それに伴う親御さんの心情は 「実体験」ができていない
自分の幼少期の記憶・子ども関連の書籍得た知識・算命学の理論
を活用して 改良法をここに述べている。
実際のお子さんを観察して
違うな、と思ったら具体案を微調整をしてほしい。
大切で・事実・本物は 目の前の生き生きした人物だから。
年長者は自分の方が長年生きているゆえ 物事を見る目は子よりも正しいと思いがち。
アドバイスを与えたくなるけど
自分の命を守る術を知った年齢になったのなら
それを採用するか・しないか、は子ども(相手)に選択権があるということ。
(子どもが 自分の命・他者の命を守る、地球で生きていくためのアドバイスはする。
「道路に飛び出してはいけないよ」「自転車は人を殺してしまうこともあるよ。こう運転するよ。」など)
そもそも 頼んでもいないのにアドバイスを押し付けてくる人のアドバイスは役に立たないことが多いので無視していい。そういう人ほど アドバイスを受け流すと 激昂したり根にもつことが多い。