赤子を産んだら文章が読めなくなった話 【序】



女性の身体の状態をあらわす表現として、よく「産前・産後」という区切りを使う。整体とか漢方とか入浴剤で、よく見る。その区切り方に対して、赤ん坊に無縁だったころは「体型とか変わるらしい」と漠然とした印象だった。なんか大変なんだろうな〜、というモヤっとした自分とは遠い存在のものだった。

2018-20 にかけて 妊娠・出産という通過儀礼を終え、その「産前・産後」つまり「before・after」を駆け抜けたのだが、ここまで before の私が変わってしまうのか!!というほど、それは劇的なもので、わたしは産前産後の意味を知った。


変化は女性それぞれ。

体型が変わってしまった女性がいるだろう。夫と上手くいかなくなった女性もいるだろう。仕事のスタイルを変えた女性もいるだろう。

わたしの場合、ショックな変化は「知性の欠如」であった。

知性の欠如

今でこそブログにあるように長い文章を作れたり読んだりすることができるようになったが、赤ん坊を産んで約1年はここまでやすやすとお喋りできなかった。

赤ん坊を腹から出した瞬間に、こんな現象があらわれた。

  1. 長い文章が頭に全く入ってこない (会話も書面でも)
  2. 知的な文章をつくれない (言い回しを忘却)
  3. 作品を読んでても数ページ前の内容や登場人物を何度でも忘れる

親族や友人から祝いのラインがくるのだが、少しでも長めで複雑なメッセージがくると、一生懸命に目で文をなぞるのだけど内容を理解できない
それぞれの文節の意味はわかるんだ。熟語も知っているんだ。それらを、頭で組み立てられない。組み立てることを放棄してしまったかのようだ。



市からもらった予防接種の説明を読むのもやっとだし、読書をしたり、他の人のブログを読むなんて持っての他。という状態になってしまった。


産後にハリーポッターを読んだとしたら「マルフォイって誰だっけ?マグルの子だっけ?」「マルフォイってハリーの親友だっけ?」と、ページに「マルフォイ」が登場するたびに調べる羽目になる。そもそも読書をするエネルギーは、ないのだけど。

アウトプットは、インプットよりまだマシだった。日記にも長めの文章は綴れる。ラインも返信ができる。けど、「あれ。こういう時つかう言い回しってなんだっけ?熟語ってなんだっけか。ほら…なんだっけ…!?」というぶっ飛びがすごく、キレのない文章になってしまう。


陣痛で脳の神経が切れたんじゃないか、と思った。ネットで検索してみると、同じような現象に悩まされていたお母さんは少なくない。

けれどこの現象は、病的なものではないと直感で分かっていた。



赤ちゃんを胸に抱いた瞬間から(特に)お母さんは脳の中で刺激を受ける領野に切り替えがあったのではなかろうか。ひとりの人間につき、脳で刺激を受ける持分は決まっていて、産前は「社会で他者と生きていくための脳の領野」とか、いくつかの領野がバランスよく刺激をうけて力を発揮していたのが、産後にはもうすっかり「命を育む原始的な脳の領野」にもっていかれてしまったのではと仮説を立てた。

この状態は「母乳をやめた時、回復するだろう」と思った。

母乳を飲むために、子が乳に食らいついた瞬間に、母親側は母乳を出すためのホルモンがでる。動物と共通の、野生な部分が優位になる。

授乳の間隔が大きくなるにつれて、睡眠をとれるようになるにつれて、女性の知性は回復をしていき、1年半年をかけてちゃんと元の状態に戻りつつある。

こんな経験をしたあとに、算命学を通じて陰陽説五行説を学んでいると「これ五行説の理論に合致してるじゃん!」と自分の中で納得した。それを次回に説明したい。

Baby in the dark (2019)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です