死は、人生で一度きりのことか?
いや。
死は大なり小なり 自分に何度も訪れていることを知る。
たとえば生きていると、他者を弔うことになる。
恋人など、生きながら別れることもある。
その人と接点が大きいほど、まるで自分のひとくれを失ったようだ。
実際、自分のひとくれが失われるのだ。
そんなとき、
その人を見つめ 自分を見つめる
生活のなかで いろんな角度から なん時も。
その人は 別個の他者 ではなく 紛れもなく私の一部だった。
私が、私であることに安心しきっているトータルの、バランスをとっているその 内容ひとくれ だった。
心はバランスを欠き、
色がなくなる。

あの頃の感覚に戻れるだろうか。
あの頃聴いていた音楽を、今も心地よく聞けるか。
戻れない、戻りたくもない。
死から目を背けていた。
タブーだと。
究極のことだと。
実は、
生きながら、死んだことが何回もあると知る。
生と死の拮抗、それを「変化」と呼ぶのだろう。
自分の手で屠ったこともあるし 運命によって葬られたこともあった。
死は どこかで陥る1度限りの終点ではなく
生きながら、もういつでも作用していて
それにより明らかになる。
雪が舞って白ぼけることも
青い空に 雲が変化することも
山の アブの羽音も 空気の匂いも
それは あまりにも生きている。
ものごとに色を塗りすぎていたのだと思う。
空の青さを感じてなかった。
揺れる樹木は、ただ揺れる樹木だった。
混乱により古い色を失い、
真の色にリセットされる。
生中の死の作用は、明らかになるということだ。
小手先では落とすことがむつかしい
飽和し淀んだ「生」の垢が 落ち切って
ものごとの本来が鮮やかに入ってくる。
だから神さまは 死を散りばめたのだろうか。