干支暦と表語文字・太陽暦と表音文字

2021年 3月

今のカレンダーで使用されているグレゴリオ暦で「3月」といえば、2月の次、4月の前の月のヒトツキを意味する。

「2021年3月」とあれば、そのとおり、そのひと間をシンプルに表したもの。



辛卯


こちらは干支暦で表記した 今年の 3月。「卯」は現代で3月の方向を意味する十二支のことで今年の節入りは3月5日だからその日から「卯の月」に入った。それまでは「寅の月」であった。

古代中国で生まれた暦術は数字をつかわずに、漢字の連結で表現する。

十干(空間) + 十二支(時間)

という構造になっている。卯の前にある「辛」とはその月の空間を知らせてくれる漢字で十干という。辛は「陰・金性・西方」の気。

去年の今頃は「己卯」で来年の今頃は「癸卯」であるように、同じ3月でも毎年異なる。

いま過ごしている辛卯の時間とは「空間の中に陰の気が満ち、西方の気あり。時間は東方木性。いよいよ陽気が盛んになる月。」ということ。


「卯」は「茆」。草が茆々(ぼうぼう)と生茂るさま

淮南子


さらに、年と日もそのような暦術表記を持っているから 2021年3月5日となれば「辛丑の年・辛卯の月・壬子の日」とさらに詳細な空間表現になってゆく。算命学の占術部門ではこの 年・月・日 の3種の柱でその人の宿命を汲んでゆく。

西洋発の暦が、時間のその一点をポンと無機にあらわすのに対し、東洋発の干支暦は上のようにそれ単体で「意味」を所持する。

この干支暦は古代中国をはじめとしてアジアの漢字文化圏でつかわれてきた。





漢字文化圏、というところに肝がある。

漢字というのは文字体系でいうと 表語文字 [英: logogram] になる。
ひとつひとつの文字がそれだけで意味をもち、しかも音をもっている。「樹」という符号を見たら、反射的に、土から空にむかって生える茶系の円柱状の物体から枝分かれして葉を茂らせた、あの「き」の全体像を用意に汲み取れる。かつ「樹」は《ジュ》《き》と音をもつ。
意味をもつ表現の最小単位は「樹」のひとつで完結する。

対してグレゴリオ暦がうまれた西洋を含む インド・ヨーロッパ祖語のアルファベットやハングル・日本語の仮名は 表音文字[英: phonogram] になる。ひとつの文字は主に音を表す。A. B. C. D. E… い. ろ. は. に. ほ…..。この音の粒が * w. o. o. d. * → wood と四つ連なって「樹」と同じ意味を表す。「w」とあっても、相対がなければ、それが一体なんなのかサッと汲み取ることはできない。( ‘w ’ には日本のスラングで ‘ 笑 ’ という意味があるが、それはそれとして表意文字)



この東洋的精神が暦でつかわれる時間表記にも滲み出ているようでおもしろい。

グレゴリオ暦の 5日といえば5日で、2021年3月5日といえば、西暦0年から時間が経過したボリュームと今日その一点を示し、表音文字的に思える。1977年10月10日も、そう。2002年12月6日もそう。「その日はわたしの誕生日」とか「クリスマス」とか「収穫祭」など意味があったとしても、それは後付けのものだ。来年もその日は「収穫祭」で、また来年も「収穫祭」であろう。



一方、干支暦は 「2002年12月6日」も、2002年も/ 12月も/ 6日も、粒には意味がある。


年: 壬午 / 月: 辛亥 / 日: 戊申


2002年 にあたる壬午は、(壬)+(午)
『壬は水性、色は暗色(黒)、その性を流動とし、陽の気』
『午は陽、地上の南方をあらわし、五行は火、色は朱』

「2002年は、空間の中に陽の気が満たされ、北方の気あり。時間は南方火性にあり陽気の極みである」といえる。

「壬午」という表記だけで、このように意味深長なものとなる。
これこそ、暦術が予知学としてつかわれるもと。



会社員の頃、職業柄、日本語を中心に世界の文字や言語のことをリサーチする機会に恵まれた。正方形の方眼用紙に漢字や平仮名のデッサンをすることが最初の仕事だった。漢字は正方形の中にまとまった粒だけで意味をもっている。

アルファベットは音の粒の集合で意味ができる。wood worry wonder

しかし、じつは漢字の部首はアルファベットの接頭辞・接尾辞と同じようなもんだな、とすら思う。漢字そのものを読めなくても草冠があれば植物に関する何かだろう、と推測できる。英語では re- と接頭語があれば、単語の意味がわからなくても再出発に関する何かだろうと、推測できる。欧文の単語というのは、即ち漢字一文字に値する。こちら側(東洋)の視点からいうと横に長い漢字ともいえる。


なにかこう、デザイナー時代にしろ、算命学学習にしろ、家事にしろ、そのときどきの仕事に向かっているときに、東洋と西洋の比較法則のようなものが頭に パッと降ってくる。



きょうの話は、高尾義政先生の著書を読んでいて気づいたこと。でした。




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