算命学の日干は、
その人の心の代用であり
気と体をつなぐものであり
算命学のマップを開くには
地上の東・西・南・北・中央の五方向の干から十大主星を、
三柱の季節、地支、から十二大従星を、
心の日干をつかって演算する。
もっとも大切な干である。
十大主星は日干の匂いがまとわりつく。
十二大従星は日干のためにある。
すべてといってもいい。
前回の記事 にて、美術館のミュージアムショップで購入した『Souvenir de Coutelas クートラスの思い出』という本を読んで。
クートラス (Robert Coutelas) は 1930年にフランスに生まれた画家。
日干は丙。
太陽の人。
彼の出生から終わりまでのことが綴られたこの本を読了して
日干、丙 全般について思うところがあり
クートラスの助けをかりて
丙についてお喋りしたい。
丙は自然界にたとえると太陽だから、
性格はそのままに「明るい」と捉える。
これは身の回りの人や著名人をみてきた私の印象だけれど
丙の人はカラッとした根源的な明るさはあるのだけど、時折「堕ちる」時期があって、そうなると脱出にある程度時間がかかる。
圧倒的な明るさに対して、なんだか危ぶないと思うときがある。
不安感でいっぱいになったり、鬱っぽくなってしまったり、
お酒やギャンブルにはまってしまったり。
**** 今から少々脱線します。*****
心の強弱は十二大従星ではかるけれど
強くても弱くても、その人という環境の中で「平常」であればいいのだ。
亀には亀の、ねずみにはねずみの、チーターにはチーターの平常、エネルギーの漏らし方がある。
その人の環境下で
あー、なんだか心のバランスが崩れているなあ
というときは
欲とかエナジーという無形の部分と実際行動という有形の部分がうまく循環していないのかもしれない。
入れるばかりで出していないこと
出すばかりで入れていないこと
霊魂が入っている器(体)が霊魂の強靭なエネルギーによって破壊され、体調を崩す。
だから幼少期の天将星は、「病弱」の可能性を考慮する。
天将は現実エネルギー最強の星である反面
必然的に年長者にかこまれている幼少期は、
なかなかその王者の気を発揮しがたい。
だから湿疹とか喘息とか意志薄弱とか、自分の肉体でエネルギーを抜く。
内と外、気と体、インとアウト、ギブとテイクのバランスをとっていくことが肝要で、
算命学の占い師は、言葉によって相談者のバランスをより中庸に近づける一点の「気づき」を与えることが仕事だったりする。
整体師でこれをやっている方もいる。トンと体のポイントに少し手を加えると全体に調和が生まれるような。
もっと占術的に「中庸」にもっていく試みが「守護神法」だ。
(あえて偏らせることもあるけれど)
わたしが思うに
守護神とは、お守り的なありがたい存在ではなくて
その日干を中心に命式全体を くつろげる風景にするための助力要素である。命式は風景なのだから。
たとえば私の命式は、ほぼ燃料のない、今にも消えそうな水上の火なのだけど
燃料となるのはシンプルに樹木(甲)だ。これはまさに実物の樹木でもいいし、自分で木気をつくっちゃうのもいい。どうやって樹木の気をつくるのだというと、丁の場合「玉堂をする」。
丁にとって甲は玉堂星。たしかに行き詰まったときに読書やアカデミックな場、古本やテキストを机にひろげると、シャンっと「整う」感じがある。あと火を強める酒を飲んでもとてもちょうどいい感じにもなる。
同じく泥沼の上の火のお客さんは、昔住んでいた外国にお気に入りの大きな木があって、その場にいくと大変落ち着くとお話しされていた。
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丙の話に戻そう。
甲 (樹木)
乙 (草花)
丙 (太陽)
丁 (灯火)
戊 (山岳)
己 (田園)
庚 (鉄鋼)
辛 (鉱物)
壬 (海湖)
癸 (雨露)
のなかで、あなたの手や、地上の物質が直接触れないものはなんだろう?
十干のなかである意味、丙は仲間はずれなんだね。
陽光は肌に注ぐが 太陽そのものには触れられない。
〈樹木〉をたすけるには水をあげたり斧で材木にして生かすといい。
〈草花〉にも水を。はさみで手入れをしていく。
〈火〉が弱ったら屋根をつくろう薪をくべよう風をおくろう。
〈山〉が弱ることなんてそうないけれど、山には木火金水なんでもある。
種をはらんだ〈大地〉が乾けば水をあたえ、水分が多すぎた場合、陽光で乾かす。
〈鉄鋼〉をつかいものにするには火が必要で、水に沈んでいるなら木で吸い上げればいい。
〈宝石〉が泥にまみれているなら水で洗い流す。
〈海〉は太陽をうけてキラキラ輝き 生物を養い「海水浴行こう」と人を呼ぶ。
〈水〉不足なら、水を注ごう水源をつくろう。
じゃあ太陽そのものは何が助ける?何が傷つける?
命式(霊魂世界) のみで考えると
太陽自身だ。
丙の心をもつ方は、傷つけるのも助けるのも、かなり「セルフ」みたいなところがあると言いたい。
本来は、そんな「敏感」なたちではない太陽だけど、一度狂うとそのままでいってしまう。
時計がわずかに遅れると、その積み重ねで大きな遅れになるように。
じゃあどうする?
黒い太陽になってしまったクートラスになんとアドバイスをする?
それはシンプルで当たり前のことだったりする。
太陽と共に起きて 太陽が沈んだら眠る。
- 明るくなったら活動して暗くなったら眠るという概日リズムに合わせる
- 陽光がさしこみ、朝から夜までの流れを体感できる部屋に住むこと
- 日中、お散歩やピクニックで太陽を浴びること
- 太陽をたくさん浴びた作物を食べること
これは、人間
とくに丙にとって大切なことだと感じたんだ。
自分が弱っているなら太陽の気を養えばいい。
無理して明るく振る舞うのではない。
太陽の「規則性」に着目する。
もし、気が塞いでいる丙さんがいるのなら
昼夜逆転していないか?
外にでて太陽を消長を感じているか?
不規則な生活をしていないか?
と振り返ってみる。
概日リズムに合わせたら、1日で効果を期待はあらわれないだろう。
毎日毎日、コツコツでまた針があってくる。
太陽は遅くなったり早くなったりしない。
疑いながらも、とりあえずやってみる。
クートラスのこと。
クートラスの日干支「丙寅」は 現実世界が欠落し精神世界にのぼりたい戌亥天冲殺。
彼にとってのドローイングは 名誉・生活費を稼ぐためではない。社会性とは全く別の、自分の呼吸としての活動なんだ。 所属画廊(社会性)のお客さま第一主義みたいなものも、天貴星をもつ彼には気持ちが悪いものだったんだろう。天貴星は子どものような星だから大人社会の嘘とか愛想笑いと相入れない。ガラクタや古いものに目が無いところ、作品を土に埋めたりしてエイジングさせるところも、天貴や玉堂らしい。
若いときには工員や石工として朝四時など、早く起きて労働をし、終えてから学校へ通っていたがパリに移りアーティストとして活動しているときには、おそらく大抵は昼夜逆転していた。
この昼夜逆転の積み重ねがクートラスの太陽を「孤独の黒い太陽」に導いたのではと算命学の視線で感じた。
そういえば堕ちた丙の知人たちは、アルバイトが夜だったり、昼まで眠っていたりしていたなあと思い返す。社会人になり否応なく朝に起きる生活になったとたん、天将みを発揮している。
十日以上も部屋を出ずにずっと仕事をしていたんだ。昼過ぎに起きて夕方から仕事を始める。そして日が暮れて、”奇跡の小路“ の人間達が寝静まるとようやく、油が乗ってくる。(略) その内に時間がどんどんずれ込んできてしまいには夕方から起き出すようになる。(略) 知らない間に季節が変わっていたりする。これじゃいけないと思って、夕べみたいに街に出ていくんだ。
『クートラスの思い出』 岸 真理子・モリア 著
この生活リズムの心地よさとはとてもよくわかる。アーティストはのめりこむと、10平米の部屋で昼も夜もなくなってしまう。夜の静けさのなかで「きた」と油が乗り始めることも。
これがクートラスの生き方で命の使い方だ。
[ Table on Wednesday morning ] Mikawa Nanako
oil / linen board
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