ツイッターのタイムラインによくデヴィッドボウイの言葉が現れるようになった。
わたしがフォローしている方が引用をしていたからその縁だと思う。
デヴィット・ボウイ
名前だけ知っているが、彼が生み出した曲を聴いたことがない。
スポティファイで曲を流してみる。
…
これは集中して聴きたいやつかもしれない、と思い アウトプットをヘッドフォンに切り替える。
3:08 からの メロディにやられた。
La la la la la ..
胸が苦く甘くえぐられる。
ちょっとこれで生きる風向きが変わってしまうほど。
曲全体から この人の生命が、喉という筒を震わせながら通り抜け、なんだかその形状がわかるようだ。
どんな名曲もヒーリングミュージックも、好きなアーティストでも 自分が疲れていたらノイズ。
けれど思いがけず生を蘇らせてくれる曲に出逢えたとき心が充実し振動する。
メロディに包まれた自分が瑞々しくなったように思える。
久しぶりに命式計算サイトを開いた。
(ちかごろ 気になる人物がいても “命式„ をすぐさま見る、ということしなくなった。)
天報はあるだろうな、と。
これは確信。
写真の姿からは…辛。線が細い。身なりも美しい。きっと美しいものが好き。
アルバムのジャケットのいくつかから エゴン・シーレを感じさせるのは意図的に?
澄んだ知性も感じる。
1947年 1月8日
丁 辛 丙
亥 丑 戌
甲 癸 辛
丁亥 (天報)。
天報は胎児の星。今日「これ」と思ったら明日には変わってしまう。どんどん変化していく。
気が変わりやすいわけだよ。
嘘つきじゃない。むしろ今に正直だから変わっていく。
丁(火) – 亥(水) … 水火の激突は激しい。心の葛藤は並大抵のものではない。
中心星は車騎、天庫もあるので、「どっちつかずの状態」「目的不明瞭」な状態は本人にとって耐え難い。行き先をすぐにでも決めて行動をおこしたい。でも白黒どっちにでも転じる決めない立場が心地よい自分もいて…。
生まれ月から眺める風景は 1月の灯火。
冬の火は人々にとって大変ありがたい存在。
禄存・石門・天印もあるし、
人を魅了する不思議な魅力をもっている。神秘といってもいい。
この人の火性は暖や煮炊きのように実用的ではない。
祭り事や神事でつかわれる火である。
宿命に丁・壬の暗合と 辛・丙の干合がある。
これは自分でない誰かに無意識レベルで変わることができる。憑依といってもいい。これ!といった固定の「自分」がない。
条件が揃えばカメレオンのように変容する。
ふつう、変化というものを人は怖がる。
「ふつう」と比較すると自分でも自分は「変だ」と自覚していただろう。
変わることに素直、身を任せているから それが多様な デヴィッド・ボウイ になっているのだね。
わからないながらも、手探りでいろいろ曲を聴いてみた。
おもしろいことに
デヴィッド、1972年1月に Changes という曲をリリースしている。
これ以降の変化を暗示しているのか。
この年に干合してるかもしれない、
もしその通り干合していたら、デヴィッドのことをブログ記事にしよう。
1972年の年運をみると やっぱり〈壬〉で干合している。
干合の年がめぐってくると大抵、心が変化する。(日干が 庚・己の人は変化しない)
これは10年に1度のこと。
心が変わるのだから いままでの ものの感じ方も変わる。赤いサングラスをしていたのなら、青になるんだから。
まわりからみると「どうしちゃったの?」ということになる。
けれど収録は前年の1971年だ。
算命学が見出した干合という 一種のハタラキがこの世の真理だとするならば、
きっとデヴィッドは素直すぎて 予感をしていたのかもしれない、と思う。
もしこのブログを読んでいる方でDavid Bowie でおすすめがあったら教えてくださいな。