泣く妹と教職の世界




わたしは教職一族に生まれた亜種だと思っている。



両親は小学校の教諭で

母は定型クラスを、父は自閉症やダウン症の子たちが学ぶ特別支援クラスの専門だった。


わたしは教員になりたいという発想がでたことは不思議と一度もなかったが

妹は自然と志した。妹は気が強い女で、まったく従順ではない。

「親の背中をみて受け継ぎたい」という情的なものというより ほぼ白紙から、教員という道がポッとでのだと思う。
そこが子丑生月天冲殺の妹らしい。
教育大学へ進学した。



たとえ給料が発生しなくとも土日も仕事をし、教職を愛し、真剣に向き合った母。


「土曜なのに、学校にいかないの?」と教員なりたての ベッドに寝転ぶ妹に言い放ち、母がいかにも言いそうなその疑問に彼女は唖然とした。土曜は休みの日でしょうが。


妹は今年27歳で、最初の3年間は定型クラスの担任をしていた。定型クラス、とは 1組 2組 3組 という「ふつうの」小学校のクラスのことをいいたい。



なんで わざわざ「定型」と頭につけたかというと、今年から妹は方向性を「非定型」に舵をきったから。



特別支援クラスを自ら志願した。


定型クラスのペースとは違ったペースをもつ子。
集団生活がしんどくなってしまう子。
自閉症、ダウン症、アスペルガー、ADHD、と診断される子たちのクラス。

姫になった姉に嫉妬して大暴れした妹



保育園の終わりに車に載せられ 父の運転で花屋へ向かった。淡いピンクのチューリップ 8本くらいだろうか、包んでもらって店をでた。私が選んだかもしれないし 父がそれを私が選ぶように導いたのかもわからない。

「こうやってもちな」

でも..

「だいじょうぶだよ」

花束らしく持とうとするも、チューリップは長くて大きいので私はうまくもてない。
通常とは反対に、花を地にむけて車まで戻った。こんな型破りな持ち方をして、お花はとれはしないか?


産院の部屋は 布団も カーテンも ママも みんな淡くて 蛍光灯に負けている。

ぐるぐる巻きにされた「あかちゃん」を私は抱きしめた。ママごとで、いつもそうするように赤ちゃんを斜めにして。

全く泣かない、色白の 大人しい赤ちゃん。

従姉妹たちと散々お人形にし、

言葉がつうじるようになったら 召使にした。

やがて気が強くなりすぎた妹に 非常識でしつこい私は煙たがられた。




そんな妹から先週、突然の電話があったのだ。




「おねえちゃんの占いは、仕事とか、みれるの?」



うん、もちろん。



「あのね、今年から私、特別支援クラスに入ったの。自分から志願して…」




彼女はうすほのかに 父の影響、母の影響をうけているんだな、と感じた。





特別支援クラスは大抵、年配や熟練の先生が入るそうだ。

若手の先生には人気がなく 妹のような志願者は相当珍しい。





5月。
妹は今、職場に行くことができなくなっている。




特別支援の道を志したい。

その意気込みは、配属されてすぐに折れた。




特別支援クラスは 「知的」と「情緒」とおおきく二つにわけられる。

「知的クラス」は学習面に独特のペースをもつ子たち

「情緒クラス」は学習には問題がないのだが(むしろずば抜けている子もいる。) 他者の感情を汲み取ることがむつかしい子たち。



彼女は「情緒」のクラスに配属された。4名の生徒さんがいる。

そのクラスはもともと 学級崩壊 していたことを入ってみて初めて知った妹。

2名、気むつかしい生徒さんがいて、前年度までは 先生は彼らに屈して 野放し状態になっていたようだ。


そのクラスの状況を知ってか知らずか学校側は

若手で・未経験の先生を・たったひとりで

担当させている。



野放しで好き放題やってきた今までがあったのに、ちゃんと授業を進めよう・向き合おうとする妹の存在は生徒さんにとってストレスだった。

だから妹に攻撃をする。



支度をするのだけど、家から出れない。学校を思い浮かべると涙がでる。
なんとか車に乗り込んでも、道中の、実家の前で停めてしまう。






話を伺って、
わたしは、その学校のシステムに驚く。


会社で言うたら 問題ある部署に、2.3年目の社員をプロジェクトリーダーに配属したようなもんじゃないか。いや、それよりひどい。


教育現場にいない私や夫ですら、それが「異常」だということがわかる。むしろ、教育現場にいないからわかることなのか?


家庭で 自閉症の子供1人をみるだけでも、相当に大変なことなんだ。(夫の兄は重度の自閉症)






そんなの職場環境がおかしい。


「人員配置」の感覚をが乏しいのか….?



教員の子供として親を見てきた。そして社会経験を経たから客観視できるのだけど、
教育現場というのは、独特で、ある意味閉鎖的で、神聖な機関だという印象がある。



算命学の視点から教職の質を大分類するなら、北方に位置するだろう。

東方・西方は「有形・現実」であるのに対し
南方・北方は「無形・精神」
中央はどちらにも属するが、どちらかといえば現実。

部活動顧問の無給、土日の無償労働が ここ最近になって教師たちが「おかしいのでは!」と声をあげているが、それは東方の風が北に吹いてきたのだろう。SNSやネットニュースで教員たちも容易に社会を知る。一部の教員、若手が外の世界をわかってきた。



北方の職業、無形精神の職

教職・学者・哲学者・宗教家・思想家・神職・占者 etc.. は

絵画 1cm2 あたり10円と決めることがナンセンスのように「おつとめ」が「おカネ」にすんなり換算できないことは自然なことだ。



もし「おカネ」に北方職の全てのことが正確に換算されたなら、それはある意味ビジネスだ。

(ビジネスでも創始者に近しい者ほどカネにならないことをする時間は発生するのだが、それは中央/東方のなかの北方性なのだといいたい…段差五行説)




ちょっと脱線した。




「校長先生がとてもいい人で、今、その2人と教室を分かつとか 他の先生を入れるとか、いろいろ手立てをうっている最中なんだ。」



妹の訴えを聞いた新しい校長は、
今年の春、赴任してきたばかりだ。


現校長は、他の先生や管理職の 出入りがない、
特別支援クラスがとても閉鎖的な空間になっていることに驚き、怒り、妹にまずは謝った。


他の先生が出入りがあれば、こんなことにはならなかったはずだ。



母曰く、母のつとめている学校の支援クラスは、職員室の真前にあり、先生の目はつねに行き届く。クラスの名前も「ゆき」「さくら」など ほのぼのしたもの。

なにより定型クラスの子供達が自由に出入りできることが、私はいいなと思った。

「先生!つぎは図工だから、きっくんを呼んでくるよ。」定型の生徒さんが ゆき組から きっくんを呼んできたり、サポートすることが自然におこなわれているそうな。



母は、「こんかいのことはね、○○(妹)だけでなく 生徒さんも被害者なんだよね。」という。




妹の学校では、今、特別支援クラスの在り方が見直されている。

これは学校だけでなく、市をも動かす改革になるかもしれない。



若手の 何も知らない 真剣に授業をつくろうとした妹と、それに対抗した生徒さんにしかできない崩壊だった。

熟練の先生だったら、野放しにしたり なんとか抑えつけたりと、事態は燻ったまま改革はなかったように思う。

それと同時に、きちんとした校長先生が赴任してきたことも偶然とは思えない「タイミング」だった。



目を逸らしたいシステムは 最悪レベルにまで落ちてはじめて平手打ちをくらう。
維持できないものは自然と崩れ落ちる。


不快な経験でしかたどり着けない境地がある。

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