欲しがる私 と はたらく私【算命学編】




気心体、という言葉は 多くの方が耳にしたことがあるでしょう。



算命学理論にも 気 → 心 → 体 という 一連の流れがあります。





は「やりたさの根元」 です。目には見えません。

旅行行きたいなあ。どこいこうかな。京都にしようかな? いや、岡山もいいよな。


もろもろの「やりたさ」は によって検討され 決定を下されます。

去年も京都行ったし、今年は岡山にしよう! 高原は涼しそうだし。


そしては 実現のための現実行動です。

宿とレンタカーを手配し、特急のチケット買って リュックに荷物を詰め込み 駅にむかう







算命学に十大主星という 性格判定に用いる 10種類の星々があります。

いろんな占いブログで飛び交う用語なのでプロじゃなくてもご存知かもしれませんね。


この十大主星は 人間の五本能(守備・伝達・引力・攻撃・習得) それぞれをさらに陰陽にわけたものなので 5×2=10種類 あります。
この段階では まだ形をもっていません。目に見えません。
なので 霊魂世界*(想念の世界) の区分です。

(*算命学は陰陽説なので 人間を極として (陽)霊魂 と(陰)肉体 に分類してそれを前提としてものごとを考察します)




その性格を 教科書風に表現してみると


貫索星→ 頑固・自我・独立独歩
鳳閣星→ 無為自然・のんびり・冷静・洞察力
龍高星 → 放浪・改良改革


などと、それぞれにお決まりの意味合いをもっています。





もともと人間は五本能を全て所持しているのですが、人体星図に車騎星と鳳閣星と司禄星がある人間は、攻撃本能・伝達本能・引力本能の気風を持ちやすい(融合しやすい) という傾向にあるということで「性格判定の仮説」とするんですね。


一個の人間を 霊魂(上段) と 肉体(下段)に区分してときの立体五行説図


上の図は 立体五行説が

2階「天・霊魂世界・形をもたない世界」

1階「地・現実世界・目に見える世界」

という二階建ての構造になっています。



天と地という上下のフロアを繋ぐ場所が「心」です。





2階「天・霊魂世界・形をもたない世界」 = = やりたさの根元(やりたさの傾向)です。


鳳閣星「京都の坊主Barでオリジナルカクテル飲みたい… 」
車騎星「高原で乗馬したいから岡山もいいよね」
司禄星「今年ボーナス少なそうだしホテルじゃなくて民宿に連泊にしよう。だとしたら田舎がいいかなあ。」


などと 自分の傾向なりに 2階で あーだこーだ アイディアがぽんぽんでてくるのです。



で、具体的にどうするの?
いくの?いかないの?行くとしたらどこ?
を決定するのは 2階と1階の中間にいる (算命学思想においての) です。



心「手頃な民宿..田舎..乗馬 …. 岡山!」




と決定を下します。



すると 現実世界において 身体を動かして 現実を動かしていくわけです。これが気心体の



この心を経て 1階におりてきた時点では その人が何をしているのか それによってどんな印象をうけるのか、ということが他者にも 認知できるようになります。
その認知できる姿、行動として目に見える・感じられる姿の形容として

鳳閣星(2階) ▶︎ 無為自然・のんびり・冷静・洞察力 (1階)
車騎星(2階) ▶︎ 行動力・働き者・一本気 (1階)
司禄星(2階) ▶︎ 準備蓄積・堅実・整理整頓 (1階)


1階部分の「性格表現」になるのです。


第三者 (ああ、彼は岡山で乗馬するんだな。もう予約とった(車騎)んだ..身体を動かすことがすき(車騎) なのかな、でもホテルでも旅館でもなく、民宿に泊まるのか.. 今年はボーナス少ないと言っていたし けっこう堅実(司禄)な人なのかも。)


という風に。




わたしが今回、筆記したいのは じつは禅の話で
その前置きとして算命学の構造のお話をしました。
最初に禅のお話をすると素朴で、皆さん退屈になってしまうかと思い..。

一度消してしまった「欲しがる私 と はたらく私 (禅問答編) 」は次の記事にします。



算命学を始めた当初は 禅思想(仏教)と算命学は その質は真反対のように思えていたのですが、ふたつを知れば知るほど、原理として似たものが互いに透けてみえ、どちらか片方に、もう一方の匂いを感じるようになりました。

禅問答に 算命学的思想を感じたり
算命学に 禅を感じたり..

どちらも中国発祥のものですが、
仏教が中国に伝来したのが後漢(1世紀ごろ)の時代で、仏教にも様々な宗派がありますが、
禅が盛り上がり始めたのが 唐代(618-907年) になってからです。
一方、算命学のもとになる 陰陽説・五行説・陰陽五行説・暦術思考 が成立したのが殷代(紀元前17世紀-紀元前1046年)。
そして算命学でいうところの天冲殺理論が軍略として活用されたのが諸子百家(孔子とか老子とか、学者さん達。アドバイザー。知識階級のひとたち。) が現れた 春秋戦国時代(紀元前5世紀-紀元前221年) のこと。


仏教も 陰陽説・暦術思考 の影響を受けています。
唐のお坊さん 一行(いちぎょう) なんかは、僧侶でありながら暦づくりに携わる天文学者でもあります。


日本における算命学に (わたしが知っている限りの) 禅仏教が透けて見えるのは
禅仏教も算命学も 成長した土地が同じであるところ
日本算命学をまとめ上げた 高尾義政先生も 仏教に明るいということ。

そういうことなのかな、と思っています。



わたしの算命学の師匠は

算命学は満たしていくもの
仏教は捨てていくもの


と表現していましたが、

わたしはこう表現します。

算命学は陰陽説(二元論)を人間生活に活用しようとする試み
禅は、陰陽(二元論) を 克服しようとする試み



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