北方
精神が還ってくる
暗くて 静かな家
得体の知れない場所だが
そこには安らぎがある
、そういいたい
寒 暗 陰 静 縮 知 理 水 精 胎 慈
兆 父 平頭 哲学 思想 死 宗教 書 学
老人 法 道理 言葉 創造 改革
宗教、信仰 は 心の静寂をになう
宗教のなかで生きるということは不自由なことであろうか
ここでいう宗教とは
特定の神さまがいて 教典がある大衆的なものから
個人の心の源泉をつくった雑多な過去のことまでをいう
人が生まれてから今まで 「そうだ」と信じてきた神々の重なり。
外から入ってきた情報や気は、心にそっと紗をかけ、気が合えば膠着し神化する。
そして自分の心という複合的な神ができる。
文脈からみると複合だけれど、それはそれで単一だ。
それでまた 心が肉体(時間) として外に滲み出ることで また神の精をお外に飛ばす。
入って 出て 入って 出て..
どこかの境地にたどり着きたいからと
知を除外するときもあるが、人間である以上
知や分別世界は欠かせない
しかし名前のないお皿の見方がある
それは もともとだった
あえて知を避けているときは まだ知のはたらきの中にいる
ふと、皿 が 皿 という名を失うときがあるが
また皿に戻ってくる
以前とちがうけれど、日常なんの差し当たりもない
知っている、決まっているという感覚は
ひ弱な動物である人間を安心させてくれる
赤ちゃんも日に日に、分別をするようになる
周囲を知り 言葉をもつと やたら泣くことが少なくなる
分別をする、ということは無分別から自然発生で始まる
修道女のように
季節の仕事のように
棒針を法則通りに動かしたらニットができるように
想定通りに星がある点にやってくるように
きまった時間にきまった行動をすることが
かえって心の自由と静かさを もたらしてくれる。
ずっと自由のように感じるが もっと大きくみれば
いままでも そのとおりであり
これからも そのとおりでしかなく、
だから大きな懐の中で
安心して自由なのではないか。