じきに関西を離れる。
8年住んだ関西。
…8年 !?
やば。
心残りがないように、と かつての場所を巡ろうとチラホラ訪れてみるけれど 不思議とその場所にいくと感慨深さはさほどない。いま大切にしていないものは、その程度なのだ。心の中にある風景なら甘いまま訪れることができる。
結局名残惜しいのは過去の場所ではなく 、最近通っているご飯屋さんとか、そこらへんの道、この自宅そのものなんだ。あーもうこの茄子のピリ辛炒め食べれないなーとか。この公園行くのは最後かなーとか。
きのうはこの1年もっとも影響を受けた人に会いに行った。
整体師さんなんだけど。
会いたい。でもお店はホームページもなく 非公開だから 予約の仕方がわからない。
ずっと会いたい会いたいで1年経ったけれど、
もう今月で引っ越しという土壇場で ええい!とDMを送った。
きのうはご本人とお会いして、施術を受けならが いろんなお話をした。
話題のひとつひとつが印象的で、手による整体技術もさることながら、そこから発する言葉は「聞く整体」であった。
だれしも無意識の占い師である。
とくに
整体は肉体から読む宿命学、という考えを私はもっている。
しょっちゅう整体を受けるのだが、
思慮深い整体師さんやセラピストがごくたまにいらっしゃって
ふつうなら患部として、物質として筋肉が硬いとかなんとか察知しておしまいなんだと思うのだけど、思慮深いセラピストは その先まで読んでいるんだよね。
算命学 (霊魂からのアプローチ) から その人物の肉体、容姿の特徴を予測することができるように、整体 (肉体からのアプローチ) で その人物の霊魂を予測できる。
しかも整体は身体さえあればよくて、生年月日もいらないから清々しい。
やはりお会いした整体師さんもそんな方で、
足をほぐしてもらっている時に
「話し方、雰囲気からみるに柔らかい方なんですけど、とても強い人です。自分というものが大変強い。腰…消化器…..。こりゃ相当だな。」
と。(苦笑)
算命学的に言うならば、天禄と天南..とくに天南が作用してんだな。
消化器のダメージが強いらしい。
というのは「情報」のとりすぎなんだと。
口から入る食べ物や飲み物、薬、サプリメントも情報であるし、
情報と言われてふつうに思い浮かべる information も情報だ。
でも、そこらへんにある岩、は情報ではない。
情報の定義とは「意図されたもの」かどうか、なのだそうだ。
岩は大抵、意図されずそこにある。自生の木も、草花も、動物の挙動も。つまりエゴ抜きの自然のことだろうと思う。
けれど人為的に何かの意図があって生み出された 言葉、食べ物、広告、デザイン、行動の導き、人の意図的な行動、木であってもハウスメーカーが養殖した細々とした無機的な木々。そういうのは皆情報なんだろうな。
先生「とても強い方」と言ったあとに問診票をチラっとみて
「7月21日… しし座ですか?」と聞く。
この先生から 「しし座」というワードがでたのが意外だった。
かに座です。
「かに座でこの(足の)感じは珍しい。あ、でも甲羅が堅い…ということであるなら、そうか。」
かに座の人の特性を、実際のカニの特性になぞらえて説明する先生。
話を聞くと、先生も星読みをするのだそう。そして、問診の時点でその人にとって必要であるならば、(たとえば親子関係など精神的なひっかかりが肉体に差し支えている方) 占星術も活用するそうな。
先生、あの、わたしがやっている占いでも たとえば木であるなら真っ直ぐだとか、自然物の形状をそのまま人の無意識行動に当てはめて考察するんです。それと同じで、西洋占星術も蟹なら蟹の、獅子なら獅子の、そのものの特性で見立てをするんですか?
「そうですよ。」
もうそこから話が面白いこと。
占いをやると問診表に記入したので、わんさか占いの話や天体の話を中心にしてくださる先生。
西洋占星術は少女のときには年に一度、母が買う年末年始のテレビジョンかなんかにあるのを見て「あー、今年は我慢の年なのね..」と一喜一憂するだけの、自分の子どもの星座すら知らないという興味のなさだったのだけれど、
最近とあることがきっかけで 西洋占星術側からアプローチがあったので気にはしていた。
わたしは、西洋占星術だろうと 算命学だろうと 亀の甲羅だろうと いろいろあるけれど
手法やバックの思想は違えど、アクセスしている《大》は同じなんだとおもっている。
法則が行き渡っていないところはないので、カード、盤、竹、顔、手、暦、その道具それぞれに小宇宙があらわれる。小宇宙はそれぞれの占術の型によって符号化され意味付けされる。
(だから、人は無意識のうちに占って処世しているのだと冒頭でつぶやく。好奇心と思慮深さがあれば。望めば目の前に顕れている物、事象、で占える。界隈共通の道具と思想、符号があれば、それは「占い」という肩書をもつだけであって。)
こちらは算命学脳で先生の話をきいているから、西洋占星が算命学の思想をクロスしたときに喜びが溢れてくる。天体を観測し12地点にわけているだけあって、おもしろいくらい似ていることに驚く。生まれた場所はちがうのに!
・算命学が五行で成り立っているように、ホロスコープも四行ある。
・人間が生まれてからあの世にいくまでの工程を12地点にわけ性格の見立てにつかうこと。
・だれしも「欠落」=与えられていないものがあり、そこに固執しても不自然になる、という考え。
とくに西洋占星術にも「天冲殺」的な考えがあることが興味深かった。
先生は「欠損」と表現していた。
天冲殺のことは別件で記事にしようと火種があったので、あしたにでも原稿、書いてしまいたい。(保育園休み…白目)
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