お客さまが御代を包んでくれた封筒。
うわあ、いいな〜と思った。
わたしもこれ、真似しよう。
きょうは「宿命消化をどう捉えているか?」というご質問をうけて、考えたことをブログでも綴っていこうと思います。
Answer:
わたしはいわゆる「宿命消化」には関心が薄く、どうでもいい、と思っている。
………………….
宿命消化に関心が薄い=算命学に関心が薄い。というわけではない。
そもそも、
宿命(命式) = 算命学 ではないのです。
わたし自信は算命学を信頼し、根底にある陰陽説や老子思想、他には 禅だとか、が共通してすくっている場所
「宇宙の真理はバランス。相反する2つの要素が互いに消長しあう無限の循環システム = 宇宙 = absolute」
が人生観としてあります。
しかし、生年月日で出た命式をその人物の最適解だとし、その通りに生きれば満足、そからはずれていたら残念と命式が先頭を歩くこと自体、占い師の妄想であり、生き生きとしたものへお節介のような気がします。算命学の神* は自然の法則です。自然の法則がこの宇宙にくまなく行き渡っているのであれば、どうあったって宿命消化、現在そのものが最適解です。
*算命学の神: 一神教でも、偶像でも、崇拝するものでもない。ただ「それ」のこと。算命学や禅を含め東洋的な道義は、腹に落ちてしまえばそれ以外のありようができなくなる。だから absolute である。
算命学は学問ですから、机上で捉えるに
人間を(陽)霊魂 (陰)肉体 とします。
算命学の領域は 霊魂+肉体の行動面でしょう。
肉体では、顔つき体つき・体質なんかも命式から推測できますし
お顔をみて「辛の人かな」とわかったりしますが..
肉体を主でみているのは、医学や解剖、体育、整体の方々です。算命学が霊魂を肉体から推測するのと同じように、東洋医学・整体学の方々は、肉体から霊魂を推測しているように感じます。
医療でも、ホメオパシーを扱うホメオパスは 主・霊魂 かもしれません。
また、われわれ人間は誰しも幼少期から肉体で霊魂を推察したり、霊魂を肉体で推察することを自然とやっています。お母さんの声色が低いから「怒っているのかな」とか、この人は貧乏揺すりをしているから短気なのかな?とか。ただそれは個人の感覚的なものです。
算命学や行動心理学は学問なので、共通思考と言語があります。
さて、
生年月日から出された宿命は、実のところ霊魂のほんの一部にすぎません。なぜなら霊魂は成長する特性をもっているからです。まだなんの気も付着していない宿命の核=宿核、に国家の気・民族の気・親兄弟の気・友人の気・環境の気、など自分以外の気「虚気」が付着します。その人物に付着しつづけた虚気の一部はやがて実気となり、霊魂を構成する一部となります。
このように霊魂は成長・圧縮していきます。この成長した霊魂のエネルギーを分散するのが肉体。
霊魂▶︎ 融合 (成長・引力・圧縮)
肉体▶︎ 分裂 (分散・消化・発散)
霊魂は融合し肉体は分散する。
肉体が分散することにより受ける虚気も変化する。(選べる)
また、霊魂と肉体をつなぐ心が変われば融合する虚気も変化する。
inhaul − exhaul
凝集 − 分散
融合 − 分裂
食事 − 排泄
習得 − 伝達
排卵 − 月経
相反する二つの要素は表裏一体で、ひとつの要素はもうひとつの力を使っている。これが生命活動である。
じつは算命学では、現在の霊魂の素性はわかりません。生年月日で捉えることができるのは宿核の質です。算命学が環境把握を欲する理由はこれなんですね。どんな気とこれまで融合してきて今のその人があるのかを推測します。それは、ヒアリングとその人物への洞察、過去の大運や年運で推測をします。後天運をみるときは、十大主星は霊魂と融合しますが、十二大従星は融合しないことに留意します。(十二大従星は心を通過しない)
もちろん、命式(宿命)は最大のヒントです。性質的なものは命式でたいがい「そうです」となる。牽牛星という引力をもった宿核は牽牛的なものとよく融合する。「そうかなあ..?」と命式と本人が一致しない場合は虚気の力が強いのかもしれない。
宿命は、霊魂をさぐる良きヒント。
ただそれだけのことです。
ワイングラスがあれば中身にワインが入るんだろうなと思うし、醤油皿があれば醤油とかタレが入るんだろうと思う。けれど、そのワイングラスはペン立てに、醤油皿は絵の具皿に使われているかもしれない。
宿命は「こう生きると楽ですよ」というマップで、生身のその人でなし。
六親法で子縁がないのに子がいる方、親と同居せざるを得ない子丑天冲殺、車騎星の子が鳳閣的両親の下で生活することなど、環境不一致でも陰転でも自然の法則に逆らっても、生きている限り霊魂のエナジーは分裂・消化されているわけです。
私はこの霊魂エネルギーの消化を宿命消化、いや霊魂消化といいたい。陰転していても宿命をもってして対応している。人間も時代も環境も雲のように変化していくわけだから、陽転という形で消化している時期もあれば陰転という形で消化してる時期もあり、消化できていないように見えても、病や夢、八つ当たり、運動など何かしらで消化している。だから生きている。陽転も陰転も病も、健全な人間活動なのです。
それを少しでも陽転に導くことが占者の仕事だったり、算命学を利用する、ということなのだと思います。