ちんちん



算命学で赤子の時代を天印星という。
子供の時代を天貴星という。
天貴星は「一人の人間」の始まりだ。
有中の無が 有中の有になる。




どうやら息子は天貴入りしたらしい。


4歳になって間もない彼は、
父とお風呂に入ると「ちんちん」と言ってはしゃぐようになった。
「おんなのこちんちんってなあに?」と彼なりのオモシロ造語もつくっている。




じぶんが何者であるかと初めてわかってくるのが、おおよそ4歳ころで
それは「性」によってである。


ちんちんついているとか
ついていないとか
自分がついている側か、
ついていない側か、「わかる」。


いや、今までも うつむけば ちんちん はついていた。


けれどそれは、臍とか鼻とかと同様の、体の一部だという認知だった。

それが、「ない」側に対しての「ある」を意識する。






こうやって 子どもを追っていくと
役割的自意識の原初は性、なのではないかと思う。

優しい
活発
器用、とか
そういう性格というものは

性という幹からの枝葉のようなものだ、きっと。



だから、その子の性を、その自発のままに
どのように発揮されるかを見守りたい。




彼がまだ胎児の頃、性別を知らないので
ガーゼとか肌着は 女でも男でもいいように
黄色やベージュのものを揃えて出産を待った。


わたしの腹の上に乗せられた湿ったなめし革のような子を、助産師さんが持ち上げて初めて、男なのだと知った。



そういう「どっちつかずでありたい」感覚があって、
0歳から今まで、女の子用・男の子用
関係なく 似合いそうなものを選んでいた。


乳幼児の頃の彼は、女の子だと間違われるくらいのお顔で、ちょっとしたフリルの服や優しい色合いの服がよく似合うのだった。





先週、こども服のお店に入ってのこと。

肌着を買い替えたいので
花柄のキャミソール肌着を息子に、と手に取る。


あ、かわいい
似合うと思う
(おもいたいのかもしれない)





4歳の自分を思い出す。


髪の毛をのばしたかった。


周りのお友達がなぜ長いのかわからなかったし、
一体どうやったら「みつあみ」にたどりつけるのか謎だった。
というのは、母が「短い方がいいと思うから」すぐに切られてしまうんだった。

のちにわかったことで、母は高校受験で、男尊女卑に恨みがあるのだ。
だから女の子を女の子らしくすることを好まなかったのだと思う。


悲しいかな、4歳のわたしはその母の気をがっつり察していた。

母に「セーラームーンでだれが すき?」と聞いたら「あみちゃん」と答えていたし、MAXが歌番組にでていたとき「だれがすき?」と聞いたらショートカットの方を指していて、(やっぱり)と勝手にエビデンスを得て、落胆した。

のばしたいという想いがあらわれた時に 大人の言葉でいう罪悪感のようなものがあったし、
ピンクもフリルも、いまでも「ない」選択肢だ。



やっぱりママに好かれたい。


ボーイッシュな女子小学生になった。






お花のキャミソールを陳列棚に戻す。


もっと、ニュートラルな肌着にしよう。




どんな子でも、子は無意識に察する。
まわりの大人の影響で自己形成したりもする。

この母のちょっとした方向性が、
「ちんちん」に気づいた息子の幹を
息苦しいものにしはせんか..。






親も、大人も、商業も、社会も
子どもは “こう” と決めてかかる。


あんぱんまんが好きなんでしょう。

おもちゃを買い与えないと。

お子様ランチは、唐揚げとハンバーグと、素うどんと、ゼリーと、オレンジジュース。

こうすれば (親御さんも) 喜ぶでしょう。

これを与えておけばいいでしょう。



「こどもってこうだから」と 観念上の子どもをみている。

かくいう、わたしだって自分と異なる集団を「こうだから」と見ているかもしれないな。





見学に行った幼稚園の園長が「こどもは野菜や魚が嫌いでしょう。でもうちの給食だと、おいしいと食べるので親御さんから評判なんです。」


夫と顔を見合わせた。


ああ、この園長先生は、経営者だ。と思った。




こどもは○○しない、○○食べない、○○好き、すぐ○○する

と、大人側が決めてかかれば、まんまとそうなる。



多くの大人は
子どもより大人が高等だと思っているらしい。

ある面ではそうだが、

「大人は子供より、高等だ」という認識をもつことが大人という生き物だ。

高等な生き物は、問題をいつも探していて解消することが快で、そのプロセスで歪められたものを問題としてとりあげ解消するふりをし、すごいでしょ偉いでしょ、という。







さいごに..


ちょっと驚いたことがあって。


ちょうど1ヶ月前、書類を書いていたら
「おおきいじいじのおうちー」というので見に行ってみると彼を受胎する4ヶ月前に亡くなった私の祖父のお墓を作っていた。線香を置く場所や水を柄杓でかけたり、すごく凝っている。
「おおきいじいじは びーるがだいすきだったから..」とも。

この前週に、彼はわたしの父母と伊豆へお墓参りしていた。
そのときの記憶だろう。



そしてさっき、


昼寝している間に
「かみさまのおうち」・・・仏壇(?)をつくっていた。

おそらくクレヨンは線香….
缶はなんだろう?と今思ったら
チーンとならす「おりん」だろうか?
横に木の棒があるから。



感心してしまう。







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