〈我〉を立てぬ

〈我〉を立てぬ。



算命学を占技として分けると 天法 と 地法 にまずわかれる。

おおくの占い師さん 先生が舞台にしているのは 天法 かとおもう。○○星とかのそれだ。
○○星をだすには〈我〉を通さないとならん。



このコップは美しい
コップを強くおかれた むかつく
コップが割れた 悲しい
このコップはビールを入れるにちょうどいい

我がはいった見方(感じ方)です。



コップがある。
コップを下におろすとそのようにおりる。
上にあげるとそのように上がる。
強く叩きつけたら割れる。
それだけです。

我をぬくと ただそれだけのことです。



癸卯


調舒星とか天印星とかなんとかの星は 心という色眼鏡をとおしてしか顕れない。だから人情… 市井のための占いにつかえるんですね。

人には 悩みや 欲がある。
大抵のお客さんは悩みや望みをかかえて占者のところへやってくる。

けれどわたしは地法に 絶対的安心を感じる。

地法は「非人情」だ。


(感じる、というのも私の人情ではあるのはさておき..)

我の介在がない。

その人物が
その木が
そのコップが

ただその徳。ハタラキのままにそうある姿。

コップだったら水を入れるハタラキ。

コップが花瓶になりたいとしても 水が入る働き。

水だけでない。 空が入るはたらき。
透明というはたらき。 硬いというはたらき。

宇宙に完全降伏の姿。



甲子


人間は我があるので それに逆らえる。

人情すら人間のはたらきだ。

また、他のエネルギー表出の徳を捻じ曲げることもできるし 生かすことも多分できる。

木とか石とかの。



うつるとも月はおもわず うつすとも池はおもわず 猿沢の池


無心


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