気分とは
宇宙のその時の気と、私の心から生まれる本能的エネルギーである。
宇宙の気は、宇宙そのもので、存在するすべてに染み渡っている。
算命学は気を10に分類して扱う。
今日、宇宙の気が《甲》ならば
戊の人は動かずにはいられないだろう。
癸の人は物申したくなるだろう。
西洋占星術ならば
惑星の動きと配置、それぞれ意味をもった星々の角度が
人の気分に影響を与えている。
その背景には、「信じられてきた」という集積のエネルギーがある
この話は今は割愛
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私の心は個にみえて、全体の一部。
個であることは、わがままなのことなのか?
いいや、個でありきることが
全体のバランスという点において一役買っている。
鳳閣星の描写でつかわれる無為自然とは、
のんびり・無理しない、ということもあるけれど畢竟、その日その日の気分にオープンでいることなんじゃなかろうか?
気分は本能的エネルギーで、本能に素直なのは肚で、肚は南で火性だ。
突き動かされる時は せかせか急ぐし
流出する時には 逆流にはならない (気楽でいる)
川の上に浮かぶ瓢箪のように
水のありように動きを任せてみる。
今日の気分はわたしと宇宙の接点にある。
だから気分を大いに尊重する。
「命式や大運表と同じ香り」がする人は
気分に素直な人なんじゃないかと思っている。
しかし私たちは肉体をもっているため
やるべきことがある。
やるべきことも気分の中でこなしていく。
私たちは大人だから…。
赤ちゃんが泣いたら珈琲が冷めてもオムツを交換するし
確定申告の締め切りが迫っているのなら電卓を叩く
来客があるなら部屋をクリーンにする。
気分とやるべきことがカチ合うことは往々にある。
(それは位相法でみたり)
それを味わうために生きている。
気分を携えて、今日を目一杯生きる。
11月の最果ての日本海で、
パンツ一丁になる可愛い小童と わい….