ある精神療法






三聖病院と森田療法 は仏教「」と切り離せない。禅の実践は治療法そのものなんである。禅は宗教であって医学ではないのだが、「心を扱う」という点で一致する。


精神療法の「森田療法」に出会ったのは、2016年5月。会社から帰宅してビールかなにかを飲みながら美大時代の友人とLINEをしていた。その前の週、静岡にある曹洞宗の寺院に宿泊したことを伝えると、彼女は恋人に関する不思議な経験を気軽に話してくれた。

彼女の恋人 真之介は、私たちより6つ年上で京都の美術系大学に通っていた。在学中、彼は鬱状態だったか(病名はそうじゃなかったかもしれない)とにかく精神が辛いつらい状態にあって 病院に入院することになった。

その病院は「病院」というより「寺」であり「道場」なのだ。友人のLINEをできるだけ生のままにまとめるとこうだ。入所の最初の一週間は寝ることしか許されず、次の週は掃除だけ許され、経過が良くなるにつれいくつかのステップを経て、最後の方は敷地で創造することも許される。真之介は岩とか石を集めて 小さい庭で自分だけが楽しめる程度の大きさのオブジェ、それも石を積み重ねたシンプルなオブジェをつくった。彼は自分で創造することそのものに感動した。「そのときのやつ、(彼から)ひとつだけもらった」と彼女が石かなんかの写真を送ってきたが期限切れでもう見れない。

彼女から連投されるメッセージをそっと既読無視して、わたしはその病院について夢中で調べまくった。

ネットでの情報だけでは真髄をつかめそうもないので「あるがままの世界」という本を秒で購入。

その病院、京都、東福寺の敷地内にある「三聖病院」は神経症(※)の治療法「森田療法」を実施する場として昭和2年に創設された。「森田療法」は森田正馬(1874-1938)が創始した神経症に対する精神療法である。森田の弟子で、禅僧で医師でもあった先代の宇佐玄雄(1886-1957)とその子供の宇佐晋一(1927-)が二代に渡り切り盛りし、2014年に閉院した。

※わたしは専門家でないので断言できないが、書籍を読んで解釈するに森田療法でいう神経症とは「神経質」な気質によるノイローゼとか強迫性障害の症状がある状態をいうようだ。



心に発生した不安安心、苦しみ楽しみ、気がかりなことを そのままにしておいて 、現実の、目の前の必要作業にとりかかる。これ、日常生活の徹底そのものが治療であり修養であり「全治」なのだ。この三聖病院では患者を「修養生」と呼ぶ。院長の宇佐晋一先生は神経質に引っかかった状態を病気とみなさない。禅宗の雲水のごとく修養(入院)するのである。「怒りを鎮めるために深呼吸しよう」だとか「心を鍛えるにはスポーツをすると良い」だとか心に対する知的な遣り繰りはかえって病感を意識する行為となる。

三聖病院は閉院してしまったけれど、本に書かれていることを即実行し、もっと知りたいもっと知りたいと、webで公開されていた宇佐先生の講話の録音を聞いて、ノートを作った。

知的好奇心の面でも、本書を読むうちに芋づる式に 森田正馬をはじめ鈴木大拙や久松真一、沢庵宗彭の「不動智神妙録」など禅を帯びている書物に導かれた。偶然読み返していた井上雄彦のバガボンドも、この療法…つまり禅、大拙先生でいうと東洋的な見方、「不動智神妙録」そのもの、に共鳴して バガボンドもわたしのなかで大切な書籍の一部となった。

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「0か1」か「治るか治らないか」「安心か不安か」の世界に生きていたのが、もっととてつもなく大きいもの(大きいという有限じみた表現が適切ではないが、わたしには語彙が、ない) を知って世界は一変してしまった。「目的地」や「回答」があってそこを目指していたのが、もう ここ がその場所だとわかった。「その」も「ここ」もないとわかった。「0か1」の世界に戻っても、それでもココにいるので 別にいいや、という不安の中の安心、安心の中の不安。理屈が通るようで通らない場所。

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