算命学を、学舎にとびこむ冬

算命学を、講師について学び始めたのは2019年2月。それまで5-6年間は クライアント側であり 素人の独学者でした。

《算命学》に没頭するきっかけとなったのは実にキャピっとしていて、大学在学中にハマっていた〈どうぶつ占い〉。わたしが小学生の時に流行ったときは12分類だったものが、いまのどうぶつ占いは12分類の動物はそのままに、12×5、さらに細かく60種類に分類されるんです。

これ、源がどうやら〈四柱推命〉の「日干支」という部分を解析したものらしいと知り、調べていくうちに どうぶつ占いに ちっとも留まることができない圧倒的な情報量とその精度に驚き、友人知人著名人はもちろん、就職してからは会社の飲み会で「生年月日おしえてください」「え!7月生まれなんですか!一緒です。何日ですか?」なんて社員ほぼ全員をこっそり鑑定したりしていました(笑) やばい新入社員です。
愛おしくなってしまうんですよ、その人を「仮に」でも解ったような気がして。
「この人は、職人気質でコツコツと実作業をしている方が向いているだろうに、プロジェクトのリーダーだなんて…!」と社内のベストな人材配置を妄想したり..


そしてその後、四柱推命と同じ母体をもつ「算命学」という学問を知ります。

日々、先人たちの占術に関するブログを拝見していくうちに陰陽五行思想の基本的な概論や、ちょっとした占技がなんとなーく分かるようになりました。この頃には、友人知人の悩みに対し 持っている範囲の力でカウンセリング的な遊びをしていました。


算命学を、学舎にとびこむ冬
算命学を知れば知るほど、「文章を公表したい」というムラムラした欲求が湧いてくる日々。わたしの日常生活の根底にある「仏教的な禅的*な精神性」と「陰陽五行思想」が脳内で自然に掛け合わさり、真夜中とかに、フと「ああ、これ 書きまとめたい」という衝動に狩られることが多くなった。日記とか紙片には書きまとめたけれど、それを公表したい。そのためには、算命学に関して、素人留まりの知識じゃ無責任だと思ったのですね。
(* 的な、と曖昧表現するのはわたしは特定の宗派を持たないし信仰に重きを置いていないから。)

それと「ダサいな」と思ったのです。流派もあるだろうに、お金を払いもせず全貌すら分からない寄せ集めのパッチワークみたいなフワフワした知識で、友人(クライアント)に助言していることが。

少なくとも自分は、算命学を通じて「社会」と交わるには、先生につくしかなかったのです。

なんとなくわかったような気がしたまま入門した算命学は、大真面目な「学問」の一種だと知るのと同時に いままで「わかって」いたのは 全体の一部だけなのでした。一個人の生年月日だけで、本当に多くの情報を引き出せる。クライアントの悩みに応じて「情報」を処方する。

目下、このブログでは 管理人が算命学を学ぶうちに、真夜中に浮かんだようなアイディアや衝動をつらつら投じる場所になるでしょう。

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