中心・牽牛星の子どもとモンテッソーリの思想




出産予定日が確定した検診帰りのモスバーガーで
その周辺の日にちの命式をいくつか参照し
ホクホクしていました


そして9ヶ月後

陣痛は AM4:00 に始まったので
「今日中に産まれるだろう。そうしたら癸酉。」
となんとなく感じつつ その日の夜に生まれました





一度知ったら戻れない




白紙の赤ん坊と
その日々を運営していく白紙の自分は
出来る限り サラの状態から 実験のように過ごしたい
という思いがあったので
妊娠育児情報誌やネットの情報も
一度知った彼の命式も
おおむね 蓋をして 過ごしてきました




けれど一度知ったものを
完全に忘れることはできない



今、手元にないとしても
見たという感覚と知の爪痕が 残って
今の自分世界があります



算命学に限らず 何事も



知ったら 知る前に戻れない





だから安心して 赤ちゃんと過ごすことができたのだと思います






(ある視点から論ずれば)


子と親は 別個の人間
自分と 他者も 別個の人間であり
それぞれの価値観と特性をもっている

ただ そうである










いまや「算命学を知らない自分」の感覚がわかりません


この世界に暦や時計が当たり前にあるように
顔をあげたら 今「11時50分」とわかるように
わたしは算命学という暦と分類が
かかせない足場…ライフワークになっています


時計がこの世から消えても
「今は14時くらいだろうか」
と時計ルールが残した爪痕や言い回しを
利用していくのだと思います






中心星 金性をもつ子どもたち




子が産まれてからちょうど1年後
わたしは算命学の教室に入り専門的に勉強し始めました






算命学には『貴幼法』という幼少期の性格を判定する
子ども専用の占技があります


これは人体星図の中心星のみを使うのです


中心の十大主星はその人物の思考の源流であり
いま」であり「ここ」であり
手段」であり「」であります





我が子は中心星が《牽牛星





0-1歳の赤ん坊の時は、
牽牛もくそもない
という 大パニックで 理不尽で非合理で
シンドイ日々ばかりだったのですが




そもそも

算命学の理論では 誕生してから3歳くらいまでは
「人」ではない 
人格形成中の状態 とみなします。

なのでベビー..乳幼児には

人体星図とか天冲殺とか三合会局だとか
それらを利用して「処世術」云々はほぼ無意味かと思います。


(親がその子の特性を知って 安心を得るような使い方ならできますが)





成長を追うごとに
牽牛星バイアスによって
こちら側から働きかけの効力、


この子は 算命学理論では 牽牛星を もっているから
こうしてみたらスムーズにいくだろうか
という微妙なトリックと 実験により

子ども側の 牽 牛 と足並みが揃ってきたな
という確かな感触があります


2歳4ヶ月の今、それを強く感じています


★ 牽牛星 ★

方向: 西方金性
   (補佐役の座気)
本能: 攻撃
   (間接的な攻撃・集団での戦い)


攻撃本能ですから動きたいという本能から生まれた星です。
陽の攻撃本能〈車騎星〉は肉体派ですが
陰の攻撃本能〈牽牛星〉は知性を伴う攻撃です。

辞書では 「攻撃=相手を攻める」ですが

算命学で攻撃とは 

他者や何かに意識的に働きかける行為
 ▶︎前進力・後退力・行動力....有意識から発する動きたさ能動 です
 
性質は
品行方正・自尊心・自負心・名誉名声を求める
目的遂行意識・組織力etc..




わたしがかなり意識しているのは 牽牛がもつ 補佐役の座気 です


算命学の分類では 東・西・南・北・中央 の五方向に
座気という ポジションならではの特質があります

中央でしたら 王者や家長。南方でしたら 子供や目下 というように



西方の座気は 配偶者・補佐役



同じく陽金の車騎星もそうですが
金性はもともと「王者の右腕・サポート役」になることで
力をよく発揮すると言えます



とくに幼少期の性格判定の占技、
貴幼法は この座気論を活用






車騎もそうですが
金性が中心にある子は

誰かの役に立っている と感じること
役目役割を持たせてやること

で生き生きします。

(大人 車騎と牽牛も!)



車騎星・牽牛星の「役に立ちたさ」はニュアンスが異なり


車騎星の子は「お父さんお母さん、弟妹(大切な人たち・大好きな人たち)
のために役に立ちたいよ。困っていたら 助けたい!」
という人情味を帯びたもの。あまり深く考えません。助けたいから即助ける。
大好きだから、助けたい。という ごく単純なものです。




一方、牽牛星の子は
家族が困っているから、即心を動かされて…という回路では恐らくないんですね。
(もちろん、そういう直情的な時もあるでしょうが)

無意識に 彼ら彼女らなりの思考や策略が瞬に入ります。

対象に対し、自分がどう振舞ったら効果的か
子供らしい言い方だと、どう振舞ったら「褒められるのかな」….笑
どう振る舞ったら「いい」かな。

そういう面が大きいと思う。



そして

私がずっと感じていることは



牽牛星とモンテッソーリ思想の相性はすこぶる良いかと思う。

モンテッソーリは教育思想だけれど
道具(教具?) 揃えて教育をせいや!ということではなく

この思想は 牽 牛 性 を生かしてくれる手法 である

ということを言いたい。



モンテッソーリの思想は
「秩序」や「目的をもって活動する」ことを大切にしています。




目的をもつこと (もたせてやること)



たとえば


玄関の背が届く位置に フックをいくつか用意して
帽子のシール、上着のシール、カバンのシール、を貼って
おきまりの行動線を作ってやる。

玩具の場所も キーボードはここ、レゴはここ、車はここ と
行き着く場所を作ってやる。



目的や秩序に沿って邁進することは
牽牛星には 気持ちのいいことです。



ただ、


手段や方法は 大人が用意してはいけません。

目的さえあれば 手段は(たとえ非効率であろうとも)
子どもが見つけます。




牽牛星は 目的達成のために
たくさんの手段やアイディアをポンポンと考え出します..

西方牽牛のわたしでさえ
目的達成のため策を何本も講じます。(赤字になろうとも)




単純に「牽牛星」だから こうだ!
というものではなく 全体の命式をみて
微調整することも必要です


我が子は 補佐役の「牽牛」でありながら
幼少期・天将星(王者)をもっているという
矛盾をかかえているので
一工夫しています


依頼するときは (なるべく..)

・命令しない
・お願いする


「自分が主体である 補佐役」というイメージ





全ては 本人の様子をみて トライアンドエラーです








算命学はその人の手がかり・仮説にすぎません



先行するのは 生身の子供


事実は 生身の子供



です






こどもが0-1歳のときに よく読んでいた 書籍です
モンテッソーリの思想に出会った保育園を
92歳の保育士さんが語る






こちらは がっつりモンテッソーリ
わたしは日本におけるモンテッソーリの多くに感じ取れる「教育感」が嫌で
海外の書籍を参考にしました

英語ですが 読みやすい文章です
写真だけでも雰囲気の参考になります

表紙や中身のイラストは アムステルダムに
拠点をおくグラフィックデザイナー Hiyoko Imai さんのもの















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