生年月日が不要にして強めな運命改良法



算命学では「」を

持って当たり前のものであり
欲こそが 前進力
生きる力を生み出す原動力

と捉えています


ここに欲望というコップがあるとしましょう
コップには自覚していても 無自覚でも
「あれやりたい」「これやりたい」

実行に移し 欲を満たすたびに
液が注ぎ込まれます


それを満たすこと
それは欲を完全燃焼させること

満たされたコップは
空っぽになります


中途半端じゃいけません
中途半端では 「中途半端に液が入ったコップ」があるだけです


欲しいものに全力でぶつかること



欲しいものがなければ やりたいことがなければ

目の前にあることに全力で取り組むこと



全力で!です
それが好きでも嫌いでもない、ことであっても


全力で取り組むと あるとき「ふっきれ」ます

燃え尽きて
もうなにも考えられなくなったとき

それは コップがからっぽになったとき



空になったコップは 引力を持っていて
また新しい別のエナジーが注がれる



「ああ これがやりたかったんだ」



言葉すらないかもしれない
新規の行動に
とたんに移していく姿



とりあえず 自分が置かれた環境で
そのときにできることを
一生懸命取り組んだ結果


やりたいことがわかる
本当に欲していたことがわかる

ことが ある



そのコップが小さくても 大きくてもいい

お金が欲しい 100万円欲しい 1000万円欲しい
なら全力で 行動に移す


眠い 疲れた
なら容赦無く寝る

お金を欲することは 意地汚いと
いつまでも寝ていることは 怠け者だと

昔話や伝承で 印象付けられてきたけど

全然ちがう


お金が欲しいのに 認めず 行動しないこと
いつまでも 寝るのを我慢すること


そっちのほうが 意地汚くて 怠け者

禅仏教、でも
悩んでいようが 葛藤していようが
心がどんな状態であれ
肉体を使って目の前のことを 全力でとりくんでみる

悩んでいようが 葛藤していようが
ただ座る ただ経をとなえる 床を磨く
料理をありもので精進する工夫する




だからわたしは このホームページの
このブログについて」でも書いてあるように

算命学は
クライアントが目の前の物事に安心して取り組むための
道具・踏み台・土台・地図 ….
として 考えています

「このブログについて」

算命学という処世術はこれまた見事に個人や集団のありようを表してくれます。しかしそれは、科学でもなければ事実でもありません。もっとも大事なのは生き生きとした事実、この肉体、目の前に広がる風景だと思います。外の大事な事柄にせっせと骨折っていくための「道具」にすぎないということです。「自分探し」算命学はそのような迷宮入りの時間を節約してくれます。心を観察するということは、観察する自分と観察される自分の二つにわかれ、そこに葛藤や悩みが生じます。鑑定結果をご覧になって、傍に置いて あるいは お忘れになって目の前の事柄にスッととりかかる。その姿をこの場所では重要視しています。




1年間 好きなだけ遊びほうけた結果




この理論を知る以前 いや算命学を学ぶ以前から
この法則は体感していて

算命学の原理を知らなくても、東洋人は自然とそれを実行していることは よくある。「算命学」と名づいてるだけで、誰の中にも算命学=自然の法則 はある。その渦中にいる。算命学者はそれを有視で改めて学ぶけれど、無学の人でも当然それを体感し活用している。誰の中にもある。


26歳で会社を退職
3歳ぶりに 「毎日が休日」


ただ寝たかった 疲れた
時間に拘束されず
眠くなったら好きな時に寝たかった


やりたいこと?


多分、わたしは描画が得意だから
絵を描きたいんだとおもう
そう思い込む


肩書がなければ やりたいこともないなんて
社会から摘まれてしまったような
揺れ動く灰色の不安感

けど結局 1番にやりたいことは
寝ることだった 思う存分に

「何もしない」を「する」

何もしないをするを
飽きるまでやってみよう


1年間 本能に任せて好きなときに寝た



鳳閣星全開



肩書は専業主婦?ニート?
なんでもいい

何者でもなくなった
そして何者でもなくなった
吹っ切れと毎日の不安を携えて


眠る


一体 いつまで のんびりしているんだろう



1年たったころ 自然とパソコンを開いて検索して
北海道のとある農家さんに 住み込み手伝いを
応募していた



きっとこの少し前に 「眠い」コップが空になったんだとおもう




この運命改良法は 生年月日は不要
明日からできます なんなら今からできる

鑑定料不要にして最強






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