整体師さんに教わった 行気法 (野口整体) の、
背骨で呼吸をしているイメージと
最近 本で読んだ クォンタムタッチの呼吸も参考に
意識的に呼吸をし、
それにともなう体感のフィードバックに耳を傾ける時間をつくっている。
そうするようになってから、変化があり
子どもがわたしの布団に入ってきて
すぐに眠ってしまうという現象が起きている。
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呼吸が生命根源だということはわかる。
広義の、空気を入れて出すという肺の活動もそうだし
インプットアウトプット だとか 食べる排泄する だとか、すべての生命活動が 〈呼〉と〈吸〉に比喩されるダイナミックな2元のリズム活動だということも体感でわかる。
しかし
呼吸に意識を向ける
何秒吸って何秒吐く
というプロセス化された西洋的呼吸法に、一種の欲めいたものを感じ、自分にとってさほど重要なことでないばかりか「囚われの姿」あるいは「危険なこと」だという敬遠があったのだ。
呼吸に意識を向けるというのは、自分に着目すること。
自分に着目しすぎて、19歳のときに パニック発作を起こしてしまった経験と、森田療法によるそこからの解脱 (内側はさておき外側にむけて前進)
呼吸法じゃあどうにもならなかった陣痛の後半。
動揺があって、収めるために意識的に深呼吸をしていたら過呼吸になり、旅先で死ぬ思いをした32歳。
そういった痛い実体験もあって 〈呼吸法〉〈深呼吸〉〈吸って〜吐いて〜〉という言葉が一口に書かれているものをみると「あー、はい呼吸ね」という ぬるめの眼差しをもつ私であった。
しかし、深呼吸して過呼吸になったことから
わたしの呼吸がアンバランスなだけだったのだ。
(過呼吸は吸いすぎて体が酸素過多になり起こる)
よく吸うが、吐くことが難しい。
わたしのアンバランスな生き様を体現しているような気がして、呼吸と在り方を見直してみる。
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それで、なぜ今 呼吸の時間をとっているかというと
『クォンタムタッチ』というヒーリングの本を読んで まず実践してみようという素直さ。
ついで、わたしはいま妊娠していて 2月にお産を控えている。
麻酔に頼らずお産を楽にするには「呼吸」と言われているのだ。
初めての出産のときは子宮口8cmから 呼吸は全力の叫びに変わっていた。
一度は頼れなかった呼吸だけれど、もうすがる藁が呼吸しかない。
過呼吸になって学んだ。
吐く。
ということを丁寧にやってみる。
口元の薄い短冊をなびかせるように細く長く吐くだとか
あるいは喉を拡げて「はぁ〜〜」と吐いてみるだとか
(喉と子宮口はきっとリンクしてる)
いろいろ試してみて 体の感じに耳を傾ける。
吐くとは 生死という二元でいえば 死ぬ方向のような感覚がある。
お金でいうと 遣う ということか。
脱力のことで、手にしていた力を手放すことは怖い。
だから吐くことが上手くできなかったのかな..。
背骨 や 合掌の指先で呼吸してみたり
シンプルに鼻や口から呼吸することもある。
イメージが大事だと、整体師さんが言っていた。

それで、冒頭にも書いたのだけど
ここ最近 わたしが布団で横になっていると子どもが入ってくるようになった。
この子は赤ちゃんの頃から眠りに抵抗するような気質をもっている。
眠いけど眠りや疲労に抵抗するから 癇癪の気がある。7歳のいまでも。
昼寝なんてもってのほか。
それが、疲れいたり 怒っているときに わたしの布団に入ってくる。
今日も「平安堂(本屋) 行きたかった!」と涙目で怒りながら帰ってきて、偏頭痛で寝込んでいるわたしの布団に入ってきた。
怒る息子に意識を向けず、ふ〜と息を長く吐きリラックスをする。
ひとりでやっている時のように、呼吸をする。
するといつの間にか 子がすやすや眠っている。
気は同期するから、
無意識に私に助けや癒しを求めてきたのだろう。
リラックスしている私がいる心地よさもあるし
妊婦になって、まとうものが柔らかになっているのかもしれない。