夫という暖炉に抱かれて・または母親の話


わたしは3人家族で暮らしています。

夫と子ども1人。



以前、わたしの家族をよく知る鍼灸師さんが施術中にこう言われたのです。


「ななこさんのご家族って、Kさん(夫)という大きな懐のなか、マロ(子)とななこさんという存在が自由に奔放にすごして、そして守られているような」




ああ、鋭い。



鍼灸師さんは東洋思想の専門でしょうが、算命学(占術)のことは知りません。



五行をつかって、わたしが描く自分の家族はこうなのです。



日柱が
夫は戊戌・わたしは丁亥・子は癸酉




まず、夫という山に私が守られている。
囲いを得た火です。




丁亥、つまり水上の灯火ですから風や雨にさらされ いつ消えてもおかしくないのです。

夫は戊戌。従星では天庫が表出しますが 戊戌(土土)で旺じて天将に値するどっしり感。
一緒にても「動かねぇ」という感触があります。



夫とは大学時代にパブで出会い、そこから共にするようになりました。




「もう一度、生まれた」



そこから、そのような感覚があります。





私は実家を出るまで 母 含め家族と暮らしていましたが、彼女から母性を得ることは大変難しいことでした。そのことが成人になっても、自分に陰りをつくっています。


このブログで何度か紹介していますが、母は小学校の教員で 仕事に非常に熱心。夜は20時近くに帰ってきて、休日は疲れ果て横になっているか 丸つけや教材研究に勤しんでいました。


保育園の送迎・親子遠足、学校の参観日・運動会・体調不良の保健室、わたしのところは祖父母が来てくれていたものの、親が来てくれる人が大変羨ましかったです。


彼女からは金銭含め物質的な恩恵を多大にうけましたが、精神的な温もりの記憶は小学校1年生くらいから薄らいでいます。




先日、こんな本に図書館で出会いました。

アダルトチルドレン愛着障害の本は何冊か読みましたが、
この本では対象となる親のあり方を「精神的に未熟な親」と表現していて、ここに直観的に共鳴し、一気に読破しました。


一見「普通の家庭」、その中に潜む生きづらさから抜け出す

監訳者: 岡田尊司 / 親といるとなぜか苦しい




社会のなかできちんと振る舞い、お金を稼ぎ、子を物質的に養育する能力がある。

けれども、子との精神的な交わりがうまくできない。

この本ではそんな親を (1) 感情的な親 (2) がむしゃらな親 (3) 受け身の親 (4)拒む親 の4種のタイプに分けていますが、

彼らに共通することは子への振る舞いに対し「内省をすることがない」ということです。





この「内省することがない」という致命的な質は、もうすでに、私が母に叱責を受ける日々、自室にもどり心のなかで親を謗るキーワードとして思春期に発見したものです。





ずるいなと思います。

子の自然な言動が、親の悪の琴線にふれて 正座させられ叱責を受ける。

こちらの言い分はなんであれ、「 〈だって〉 じゃない!!!」とかき消され、親にとって耳がいたいであろうことを放ったときには感情的に逆上する。


社会人になり、金銭的に独立し、親への自己開示の必要性をネットのどこかで知った私は強気になり、神戸は六甲道駅のタリーズコーヒーで母に思い切って手紙を書きました。小学4年生のときに虐めを受けていて あなたに言えなかった頼れなかった、そのようなことを告白すると「じゃあ私が教壇を降りろというのですね!?」というものすごい筆圧の怒りの返信がポストきました。


教壇降りろなんて一言も言ってないんです。


子供のいじめに気づけないとして自分が責められている(ように感じた) → 教師失格と言われた(ように感じた) → 教壇をおりろと言われた(ように感じた)


こちらの気持ちを放つと、それに気を寄せることなく「自分(親)がどう感じるか」に即シフトチェンジされる自己中心的な精神をもっているのですね。




これをもって、



親に自己開示は必要ない。

わかりあえなくていい。

親も教師も完璧ではなかった。



24歳で、そのように悟りました。






もちろん、こちらが悪いことをしたら指導を受ける必要はあります。

けれど親からの叱責のあらゆるテーマすべてが「わたしが悪いのか?」という疑問。
たとえば架空の中立者からみて 親が行きすぎている場合、誰がその親を抑制するのか?という問い。



親 VS 子 という密室環境で、その勝敗のゆくえ牛耳るのはいつも親。
精神的に未熟な親は、絶対善の理不尽な裁判官です。


子は「養育してもらっている」という命綱がかかっていますから、本気を出そうにも出せない(子が多い)。


親と子との密室で 「審判」をなるべく中立なものにするには、親側の「内省」が欠かせません。



*





ふぅ…


夫と家族から香る五行の話にするはずなのに、母への描写に熱こもってしまいました。



それで、夫が山だとして

私が 水上の火だとして


暖炉にまもられているように、心の揺らぎが落ち着いてきたのですね。情緒が安定しました。


一瞬、算命学の守護神の話していい?


丁 癸 庚
亥 未 午

甲 丁 己
壬 乙 丁
  己


これ、わたしの命式なのですが 圧倒的に 樹木=甲 が必要なんです。(守護神)
弱火には燃料の薪が即座に必要です。守護神は、自分の心が「中庸を得られる要素」のことです。
わたしには甲が西方にでています。西方は配偶者の座です。

つまり、配偶者を得ることによって「心が安定する」と みることもできるのですね。



夫は、私の話を「最後まで」聞いてくれます。

そこに善し悪しの判断をしません。

話題も横取りしません。

横取りしたとしても「今、私の話をしているのっ!」と怯えずに言えます。


目的地まで送り、そして迎えにきてくれます。

触れても、逃げません。

嫌だったことを指摘すると直そうとしてくれます。





こんな世界線あるんだ!と 最初は驚きの連続でした。

なんだか生まれ初めて居心地の良さというか「自由に奔放に振る舞える場所を見つけた」のです。



夫はわたしより14個年上です。


それもあって、父.. いや、母親のような感覚があります。


太っていて、二の腕は女性の乳房のようにモチモチで、
わたしはこの二の腕の柔らかさに頬を寄せると 赤子のように吸啜反応が起こります。





この人から もう一度生まれた。





神さまが遅れて、わたしが子ども時代に得られなかった精神的な温もりと奔放な自己表現の場を与えてくれた。


そして、すべての子どもたちがが なんらかの邂逅を得て もう一度生き直す可能性を秘めている、ということを予感しました。





わたしは、自分の母が あの母であった必然を感じています。

母は申酉天冲殺ですから、教員という彼女が天職だと思う仕事を捨てて 望まない仕事 や 専業主婦 になっていたら、それはそれでどのようにトバッチリがきたことかとゾッとします。 




母ふくめ、経験してきた環境なしには 今のわたしはいない。


私を醸造したすべてのことが、痛みであれ重圧であれ 楽であれ幸運であれ、欠かすことのできないものであったと 編み上げている複雑なセーターを眺めては また編み込んでいくのです。




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