見るともなく全体をみる




この年末年始、ありがたいことに知人から依頼されたり
自分から「練習させてください」と依頼することもあったり、
分析→伝達という、現場作業をこなした。


算命学をつかって人物の命式を捉えているときに
あれ、これって石膏デッサンと肝は同じじゃんか。
と思ったはなし。




美大受験における優れた石膏デッサンの基本条件とは
全体から細部に至る比率を歪ませずに
より正確に、かつ美しく、紙に構成&描写することだ。
美術というより数学的だと思う。


そのような基本条件のを達成できるようになった人は
より画面を魅力的にさせるためのイリュージョンを散らばせていく。
そこに美術、美の術がある。


手や林檎、木性ブロックなど有機物のデッサンだと、多少の狂いは目立たない。
シルエットや比率、表面の模様や凹凸などが個体によって異なるから。


一方、工業製品や石膏像は、比率の狂いが目立ちやすい。


とくに予備校講師は、ええ石膏デッサンを知っている。
自分たちも、もう何十・何百回も石膏像を捉えていて、何千・万枚もの石膏デッサンを見てきているので審美眼が備わっている。


「解答を知っている」


石膏デッサンは数学的。


数学は問題に対して正しい解答がある。
だから試験に於いて、より公平に優劣をつけやすいのが石膏デッサンなのだ。







人間は 人間ゆえに ものごとを 完全に ありのままで 見れるはずがない。
みな、脳で補正をしているからだ。

凡夫を超えるには、まず「補正がある」という自覚をもたなければならない。
そして、補正を乗り越えた先、
ここが悟りの地なんだと思う。






石膏像にしろ人物にしろ、
一箇所に傾心すると 全体の雰囲気や比率が崩れていることが多い。

とくに顔のパーツ。

人間にとって、顔、特に目元に着目することはとても重要な役割をもつ。
われわれは言葉をもたない原始のときから他者の目の動きから、
多くの情報を手にして身を守ってきたのだから。




わたしの場合、鼻だった。

小さい頃から、自分の「鼻」がコンプレックスなんである!

就活生のわい(笑)




豚鼻で、なんとか解消できないかなーと鼻を指で閉じて
思いっきり息を吸い込むエクササイズをしたりね…。


おもしろい顔をしているわりに、美意識は高くて
そこに矛盾が生じ、スマートじゃない自分の鼻がどうしても許せなかった。

そのせいか、石膏像の鼻を描くときは腫れ物を触るかのように
丁寧に丁寧に、ずーっと鼻ばかりを手入れして
昼休みを終えて 自分が描いた絵に戻って見ると
全体とのバランスがはちゃめちゃになって ハっと我に帰る。

もうそれは目の前の「石膏像」とかけ離れたものになっているんだよね。





その隣で、浪人仲間は講師に「さてはデブが好きなんだな?」と
画面を講評されている。
モチーフは《胸像 パジャント》。パジャントは女性。
講師曰く、異性の石膏像だと、自分のタイプが反映されやすいらしい。
事実、彼は ぽっちゃりと巨乳に弱い笑

アニオタの浪人仲間は、モチーフが「ガッタメラータ」のときに
描写にサジを投げ、ガッタメの胸についた天使のブローチ(?) の御顔を
推しの萌キャラクターに変えていて皆んなで死ぬほど爆笑した。



このように全体像をとらえるときに、局所に移入しすぎると
全体を歪ませて伝達することになりかねない。





これこそ算命学でも同じだな、と。



ひとつの星・ひとつの現象・ひとつの占技・ひとりの命式、
にとらわれていたら、全体像がおよそにいってしまう。

そして算命学にとらわれていたら、本物がおよそにいってしまう。
クライアントという算命学以前の「生きる事実」が霞んでしまう。


算命学では「あるものは消えない」と先生が仰っていた。

なら全体を均一に見ればいいか、伝えたらいいか、と言われたらそれも違う。
クライアントの悩みという主題や、影響大の中心星・日干(心) というものを考慮せず
緩急をつけずに全てを平等に陳列する仕事のあり様だったら
それはコンピュータがやってくれるだろう。


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沢庵という、戦国時代の坊さんを知っていますか。

沢庵漬けを開発した人です。

井上雄彦の漫画『バガボンド』にも出てくるよね。



沢庵和尚の言葉にこんな言葉がある。

たとえば、一本の樹を見ている。そのなかの赤い葉一枚を見たならば、残りの葉は目に入らない。たった一枚の葉にとらわれることなく、一本の樹をどうということもなく見るならば、数多の葉を一枚残らずみることができる。葉っぱひとつに心をとられれば、残りの葉は見えない。心を一枚に留めなければ、百千の葉だろうと、みることができる。

不動智神妙録/ 沢庵宗彭 


バガボンドの中の沢庵和尚は、もっとシンプルに

どこにも心を留めず
見るともなく全体を見る
それがどうやら…
「見る」ということだ

バガボンド/ 井上雄彦







この「見る」は 仕事にも必須だな、と。









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