秋の記録


クリスマス前にわれわれ一家は急遽、引越しをすることになった。いま、0123のダンボールに囲まれながらこれをうっている。6週間前の私が聞いたら驚くんじゃないかな。涙を流すとおもう。


秋の九州旅 が終わり数週間経ってないうちに、石川県珠洲市へ一週間滞在した。
九州は移住計画の線上にあったが 珠洲はまったくの無計画だ。
九州から帰宅してその日の夜、なぜかふたりの口から「すず」という言葉がでてきた。
夫とは能登へ2度旅行している。あらゆる面において中庸な場所な気がして「どこもアテがなかったら、石川県にしよう」と網を張っていた。


なぜ、こんなに移住に対してせかせかしているかと言うと、わたしは算命学の子だからである。
ばかだと思う。こんなせかせかなお客さんがきたら「どうあったって、その通りになるよ」となだめたい。しかし、わたしにとって算命学は道具じゃなくて結構、生き様になってんだなーと感じた。

自分と占いの距離感というものは『見ないように見る』である。視線を送るのでなく、視界にいれて、ただ自由にさせておく。ただ感じる。福袋のように楽しみにする。


とはいえ


わたしは「今年」というものにひっそりと賭けていた。
機が熟すまで私は待てなかった。能動的に動きまくっていた。


第一は、年中さんの子どもが小学校入学前に居場所を定めておきたかった。
いまの幼稚園ですら転園してきたのだし小学校の途中で転校は避けたい。
彼は今年、《西方・納音》
西方・納音ということは、彼にとって「おうち」や「結果」が、180度変化するようなことが起こる予感。都会に住んでいたのが田舎に住むだとか、親の働き方や夫婦の在り方が変化した結果 家の雰囲気が変わるだとか、幼稚園を転園するとか…。


そして 夫は《辰巳天冲殺》で 辰・巳年にあたる来年再来年の引越しはどちらかというと避けたい。でも本当にピンとくる場所がないなら天冲殺に入ってからでもいいわと思った。天冲殺の時期に引越しをする流れにあるのなら、何かの計らいで それはそう言う風にできている。



資源(時間・お金) のことを考えると、珠洲には「住む気」で向かったが、物件を何軒かまわり 縁がないことを悟った。

北海道にしろ九州にしろ北陸にしろ どこへ行ってみても「ほかにぴったりな場所があるんじゃないか?」と夫も私も 非必然を感じ 逡巡していた。理屈としてはクリアしているのに感覚が「YES」といっていない感じ。こんなに素晴らしい景色が目の前にあるのに。
人付き合いと同じで、長年住んでみないとわからない味もあるとうのに。

車から流れる風景をみながら「そもそも、どこへ行こうとも《そこ》は幻で、ただお前の感受性が枯れてしまったんだよ。」とも。


珠洲の宿の熱い風呂の中で泣いた。


あー、今回もだめだったか。
寒かろうと宿の方が用意してくれた、ほこほこの羽布団の中でも泣いた。

能登は魚の価格が「え?」。
甘鯛380円って何事 毛蟹も夕方には400円になっていた。




11月3日
車で自宅に戻る。

「きっとここに住むのだから、いつでも買える」と初日に目で追っていた 道の駅の能登塩と海苔をお土産として車に載せて。


半島を下って 富山にはいる。新潟にはいる。
高岡SAで10円で買った駄菓子ヤッター麺が100円あたり10個のヤッター麺をもらう。小学生のときは10個買っても当たらなかったのによ!




旅の1日目に泊まった上越を見送る。


自宅に一気に戻るのはしんどいから、途中で一泊する必要がある。


え… どうゆうこと。小布施じゃなかったの!?


夫「…え?」


栗は..!?


夫「○○ステイじゃなかったっけ!?」


それやめたよ!


小布施で手頃の宿があって、わたしは夫にここにしようと言っていたのに夫が勘違いして一旦やめた場所に宿をとっていた。小布施といえば栗。栗のなにかを(笑)食べて帰ろうと、小布施にしたのだけど。



時計はちょうど16時。


広い駐車場におりたったとき、世界が霞っぽい金色につつまれていた。

西日がその土地の象徴であろう名前がわからないふたつの山に乱反射して空間が金色になっている。

陣痛のときも目の前がこんな金色だった。

なにか予感を抱えたまま宿までの道を行くに、赤・緑・茶、と 植物たちの色彩が目に入ってくる。これまでまわってきた田舎と植物の生態系が違うことを感じる。



ここだ。


ここに住むことになる。




夫もそうしよう、と言っている。
宿の畳に荷物を下ろして翌週にまたこの場所に訪れる手配をした。



翌週 11月10日。
10日間、キッチン付きの家をかりて生活してみる。

到着してすぐ 役場の方、移住してきた方の話を伺った。
特産・地形・近隣の市町村・小学校・天候 … リアル面を知るにつれて 「ここにはなんでもあるなあ」と確信した。なんでも、とは すぐそばにマツキヨがあったり、配達が即日とどくことではない。

私共の暮らしや好みにおいての「なんでも」。

向こうみずで動いたことに 現実がしっかり後追いしていく。



出発前、空き家バンクをみたときには正直、合致するものがなかった。



今回は住む家も決めるつもりで行くよ。

「そこまでは考えてなかったよ。でもいつか住もう。」


期待値が低い夫に対し、
実物がないのに決まるとおもった。



到着したその日、新着の空き家がでた。
夫は価格に納得し、私が内覧してとりあえずそこで即決した。わたしたち夫婦は、古畑任三郎と今泉くんのようにわたしが思いつき、夫が現実面を手配するようなコンビ。午未天冲殺と辰巳天冲殺。




秋からドラムを叩いている

依頼・2024年占いを書く・引越し・幼稚園のいろいろ・ケア・習い事・日々の家事・クリスマス準備
おのおのの用事が、おのおのの質とテンポでやってきてそれを無心に奏でている。









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