パチンコ屋を眺めながら旅のことを綴る



2020年くらいから 移住先さがしの旅を年に1-2回している。


近場でも旅先でもいつも「いい場所ないかな」というヨコシマな目で車の窓ガラス越しに景色を見ている。場所に、自分にとっての善し悪しをつける審査員でいる旅行ってどうなんだろう。旅行で訪れて「あ、いいな」と思う場所は住むとなったら必ずしも 家族皆の生活 と擦り合うわけではない。小学校があまりに遠かったり、冬は雪で閉鎖されたり、2番目に近いお店が車で45分だったり。





夫は割と保守的な大企業 に勤めているので 私たちは転勤族だ。基本的に、会社が決めた場所に住む。

夢なのだと分かっていても「ごっこ」のつもりで旅をしてきた。リモートワークが増えたとはいえ、会社から90分以内の場所に住むこと、というルールがあるそうだ。


田舎風の食作業や こどもとの遊びを ベッドタウンの賃貸の中でやってきた。
わたしは、お隣さんや階下の人を気にせず、思い立ったら木をガシガシ彫りたい。
一回試して、音を聞いてダメだと、ノミと金槌は使われず工具箱に収納されている。

青森駅近くでお店を営んでいるはるえさん(90歳近い)のように、七輪でシャケおにぎり焼きたい。




そんな感じで 現実できる範囲で ごっこ をしていると
状況がじわじわ変わって、
数ヶ月前、夫は会社から「どこに住んでもいいよ」と解放される。


今やパチンコ屋の大スクリーンの光が寝室に届くこのマンションの一室で、もがき続けた私はすでに、住居の自由なぞ「どーせむり」と不感症になっていたようだ。別居二拠点生活果てや離婚なども100回くらい頭に浮かんでは、総合的にそれは違うやん、と振り出しに戻る。
こういうことになる、と分かっていても大学生の私は のぼせ上がって、先のことはなんでもいいからこの人と一緒に..と思った。


いまさら「どこに住んでもいい」と手綱を解かれても、ふーん 7割 やったー3割。
これまでだったら即、ウォッシャーーーーー!と堰を切って 下調べを始めただろうに。


一方、夫は、これまでの私の熱が乗り移ったかのように、積極的に「新しい生活」への下調べを始め、「⚪︎⚪︎市は財政がいいね」「⚪︎⚪︎町にお試し住宅があるんだって」とホクホク顔で報告してくる。はあ…やっと動きを見せた。戊戌の貫索。


夫婦は 二人でありながら 一個の生命体。「この生命体の持分は10です」と何かしらのエネルギーをさずかったのならば、夫が10 + 妻も10 = 20、ということはないと思うのです。
だから私のエネルギーが鎮火しているのであれば夫に移行している、ということになる。
これは算命学的考え方。





このホクホク戊おじさんと一緒に、九州は熊本県阿蘇市・大分県へとんだ。
普段は吝嗇家のおじさんの財布は緩み ドッと8日間の滞在。


なぜ九州なのかというと、① 九州地方に行ったことがないから ② やたら熊本と大分出身の人と知り合う機会が多くなった ③ 麦焼酎と相性がいいので、その産地と相性がいいのでは?という持論 ④ 西洋占星術のアストロマップで私の太陽ICが九州だったから


西洋占星術のことは「客」としてしか知らない。全国どこでもいいよ、という中で何か足がかりがほしいなと 模試の時に鉛筆を転がす感覚で、アストロマップたるものを参考にしてみた。
(けっきょく、それがきっかけで一週間 西洋占星術沼におちていた。)




九州は、想像よりカラッと涼しい。しっかり秋していた。高原近くだったからな。
関東では、9月とて朝日の暑さと湿気にウンザリしていたのに、大分では長袖を羽織らないと心細い。



雪にひどい憧れを持っている静岡生まれの私は、
地元の人らしき人をつかまえて「ここは雪降りますか?」と尋ね歩く。
九州にきて、何言ってんだ。

「由布の方は降るよ」
「最近は降らないねえ。2018年はとっても寒くて 20cmくらい一度積もったよ。」
「ここは降らないけど、水がめっちゃ冷たい。久住の方に上がると降るよ。」

九州は雪のイメージ全くなかったから意外。


大分は畑の脇には彼岸花がどこでも咲いていて、仏教のかおりがする。





阿蘇の山からの湧水のおかげで 水汲み場がたくさんあって神さまとして守られていた。
地元の人たちは車を近くに寄せて、タンクや焼酎の大ボトルで生活のための水を汲んでおられた。


私たちも、水筒に、
その日の分の水をつめた。


息子は水汲み場をえらく気に入っていた。
癸だからだろうか。


そして「無料で」という言葉を覚えた。(笑)


この水は無料で汲めるんだよ。




この旅のお陰で
浮き上がったものがあった。


目指すもの不明瞭の中で目指すと
運良く それらしきものに直に出遭うこともあれば
それ以外のものを知ることによって
却って それを浮き上がらせていた
なんてこともある。



秋冬はどんな可能性も秘めているような気がする。
わたしの目に映る窓越しのパチンコ屋が、人ごとのように感じる。


春夏は、過去の自分が驚くくらい、算命学の依頼がやってきた時期だった。

高揚しキーボードを叩き続け 水面の波が高くなると、かえって見えないことがある。
濁っている感じになったなら、静かにしてみて、沈澱して、透明なところと沈殿物が二層に分かれるときの心境を待つ

静かにしていたいということ
家のバタバタとか
行事 (運動会・クリスマス)
に注力したいから


算命学鑑定はしばらくの間、クローズしている。
(結論これ!? なんだこの長い長いエクスキューズは)



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