ゴールデンカムイと算命学にみる神の窓口論


消化不良の北海道の から帰ってきたあと、星野道夫や羆をググるうちに検索のシステムが察したらしく ターゲティング広告に「ゴールデンカムイ」が頻繁にでるようになった。
作品の存在を知らなかったわたしは「この絵柄、さっきも見たな」と無視していたのだけど、115話のラッコ鍋の回がインスタのタイムラインにまでも出現して そのラッコ鍋に知的好奇心を刺激されたのと「エロイ!なんなのこれ」と即クリックしてしまったのだ。

ゴールデンカムイは集英社のヤングジャンプに連載中。日露戦争直後の北海道と樺太を舞台にしたサバイバル漫画。徴兵を満期除隊した和人(日本人)「杉元佐一」と北海道アイヌの女の子「アシリパ」の出会いから本筋が始まり、アイヌが残した莫大な金塊を巡るストーリー。金塊を狙うのはこの二人だけでなく各々の目的をもったツワモノたちがこの金塊を狙って肉体と頭脳で争う。グロテスクな戦闘だけでなく、明治末期の雰囲気とか、当時の武器とか、狩猟とか、登場人物は実在のモデルがいることだとか、アイヌの民俗や料理が豊富に登場するのが魅力。

今月から算命学をダブルスクールで学びはじめて、授業にでるため飛行機で東京遠征するタイミングでがっつり読み始めたせいなのか、ストーリーそのものの流れと作中で知るアイヌの思想を算命学の琴線が反応してしまう。


アイヌの少女 アシリパさんは杉元に言う。

人間も含め全ての者はカムイと呼ぶことができる しかしいつもカムイと呼ぶ者は限られている 例えば刃物は手で切れない物を綺麗に切ったりしてくれるからカムイが宿っている 火は私たちの生活に欠かせない 木も山に座っているカムイ 天候や疫病などは人間のちからが及ばないからカムイだ でも決して人間よりも ものすごく 偉い存在ではなくて私たちと対等と考えている

ゴールデンカムイ 109話 / 野田サトル / 集英社

Wikipediaによると カムイとは、アイヌ語で 神格を有する高位の霊的存在 を意味する。

ヒグマは「キムン・カムイ(山の神)」だし、シャチはアイヌに食をもたらしてくれる「レプン・カムイ(沖の神)」。こんな風にアイヌにとって高位な存在には「○◯・カムイ」「カムイ・◯○」と名づいている。ちなみに「アイヌ」とは「人間」を意味する語だという。


アイヌの信仰では、神の世界があって 神が地上に降りてきたときに 動物だとか生活道具や事象、病気、自然界の要素(算命学でいう五行ですね) に「ラマッ」という霊が宿ると考える。地上に存在するすべてのものに「ラマッ」霊魂が宿っている。

そこには必ずそれぞれの役目(使命)がある。

だから単行本のカバーの袖には何巻だって、こんな言葉が記されいる。

カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム
【天から役目なしに降ろされた物はひとつもない】


このアイヌの言葉を授業ノートに書き写す。


アイヌの信仰がこのようにアニミズムであり、算命学の基本原理である古代中国の自然思想(陰陽五行思想) も、イコールではないかもしれないけど似てる。

陰陽五行思想の「五行」とは地上の自然物を 木・火・土・金・水 と5分類したものを指す。
樹木、草花、太陽、月、火、山、岩、石、器、川、海 etc..のことだ。


占術である算命学にも「神」と称されるものがあってそれは「神=大自然」なのだけど、それはキ教イエスとかイ教アッラーとか…一神教の「神」ではない。宗教でなければ 信仰の対象となる具体的な神もいない。また、「神の教えに従え」とも言わない。祈らない。

そして「幸運」であることを強制しない。ただ、あるがままそのままに生きれば良い。不運でも幸運でも、自由。なので算命学を知らなくても、良い。(人情としては幸運の方が 快 なので、誰でもそちらに向かいたいっていうのはあるが)
知ったとして、俗にいう「幸運」になることが目的ではない。それが「目的」と暗示している鑑定者もいるけど。(知れば人生に於いて理的なアドバンテージにはなる)

で、特に上記のアシリパさんの言葉にハッとしたのは 「決して人間よりも ものすごく 偉い存在ではなくて私たちと対等と考えている」という部分。

まず「神=大自然」 という算命学の思想。

この思想は人間自身さえも宇宙を構成する一部として大自然に含む。


人間も含めて 宇宙を構成する全てが神(=自然) の窓口と考える。神の窓口は地上の全てに滲みでていて、事物や事象 を観察して読み解くことにより、法則化することができる。古代中国人もそれに気づいたのですね。それが中国で陰陽説や五行説、そして暦術となり、それらが全て合わさり改良され体系化されたものが算命学。

アイヌにとっても、この世のあらゆるものは「ラマッ」の窓口なんでしょう。
アイヌの信仰は「人とカムイ」という主客関係があると思いきや (人間の脳を介してカムイという見方ができたのだからしょうがない) 深い どこかで、人間の脳フィルターを排除したとして、この地上に於いては万物(人間すらも) はただそのままに配されている。すなわち平等・均等。という算命学と同じ風味の源泉を、彼女の言葉から感じた。

古代中国人の自然思想、アイヌ、他の地域でも
地理や文化を超えて
真理は結局、同じなのかな。


カント オロワ ヤク サク ノ アランケプ シネプ カ イサム
【天から役目なしに降ろされた物はひとつもない】


そう 算命学も「自分の役目」を知るヒントになる。
器は水を飲むためのもの。水は生命を育み循環させるもの。と役割があるように
人間においても それぞれに役目がある。

修羅の国にいる人もいれば、ただそこにいることだけが役目な人もいる。物質世界で生きる人もいれば精神世界で生きる人もいる。その両方もある。

それをひとまず知って、自分の能力を効率的に社会(宇宙)に還元していくことが 算命学の活用法のひとつだと思う。わたしはそこを重要視したい。

自分は(まだ卵だけど) 算命学を会得して、
たくさんの人に「役目」のヒントを伝達したい。
なのでこのブログを開設した。

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