命式の内容を知ったときから全ての世渡りの術を知るわけではない。
本当は既に知っていたものが
鑑定士により言語化されたされただけだ。
命式という情報以前に 生身が先行して存在しているのだから
自分なりの人生法則も処世術も 案外自分で編み出したりしている。
宿命天冲殺の特色として
目に見える(有視 ) 現象に対し、常に懐疑的な思考性をもっていること
と高尾義政先生は言う。
それはきっとこういうことだろうなと思う。
生年天冲殺は 年干支(北方・東方)
生月天冲殺は 月干支 (南方・中央)
が天冲殺の現象を受けている。
その時間は 行動(時間)に精神(空間)がのらない
行動はあっても外界が味方をしない
時代は味方するが 社会が味方をしない
のれんに腕押し
枠がないから本人の想像以上に振れてしまう
宿命天冲殺を所有している人たちは有形現実を意味する、東方か中央が欠落しているのだから、産まれながらに その現実社会において「常識的」「通常」な経験をしていない。
世の中のほとんどの人が 算命学や四柱推命を知らないから「自分は不思議なことが起こる」「ツイている」「いつもこうだ」「こうなると思った」「社会不適合者だわ」と感覚的に知っているのみ。
嫌なことも 好いことも 計りきれないことがあったりする。それを知っている。
想定外なことが起こることが想定内、という妙な独自法則が生まれる(笑)
だから現実というものに 懐疑的になるのではないかな。
大きな野望がある しかしそれを語るな
大半の人は「野望」や「ワクワク」を心に秘めていると思う。
○○歳くらいまでには 家庭をつくりたいとか
どこかに移住したいとか
何年後までに年収云万とか
そういう大きな野望から ささやかなワクワクも、心がほとばしってくるような気持ちは南方が司る
南方は精神の未来 五色では朱 五本能では伝達本能 五行は火 季節は夏 (北半球) 明・無為自然・快楽・性行為・赤ちゃん・子ども・お祭り・お祝い・希望・夢・庶民性・冒険心・野望・大志・モチベーション
宿命に対冲をもっている方が人生経験から「用心深く」なるように
宿命に天冲殺をもっている方も
(この記事では主に生年天冲殺・生月天冲殺を対象とする)
「目に見える(有視) 現象に対し、常に懐疑的な思考性」から次のような法則を見出すのではなかろうか。
- 野望は黙して語らない
手堅く叶えたい 温めている夢があったら口にださないようにした方が安泰なのではないかと思ってしまう。口に出して主張することは現実行動にあたる。未来的発言だったら「俺は、来年までに○○しようと思う」現在進行形的発言なら「今こんなことをしているんだ」など。すると南方にあったものが途端に東方・中央に移動する。すると口に出した夢は 天冲殺の対象になりギャンブル性を帯びる。必ずしも悪い方向にいくわけではないが自分でハンドリングがしずらくなくなるのだ。自分の発言がとんでもない方向に一人歩きしてしまうこともある。(年運天冲殺も同じ) そして行動に精神が載らなくなる。
本当にワクワクしている予定は、スケジュール表に書かないでおくこと、つまり無形のままにしておくことが得策かもしれない。実現した結果がモノ語る世界にする。
学生時代であれば、両親には 安易に方針を語らない方がいいだろう。常識から逸脱した発想をしやすい生年・生月天冲殺、そして両親に理解されがたい生日天冲殺・互換天冲殺の案は、保守的なご両親であるほど却下されやすい。一方で親に理解をされたいという強い気持ち(欠落部分が欲望となる) と戦うことになる。
本当に実現させたいことなら もう物事が完成に近くなり、あとには引けないところで暴露すればよい。それが巣立ちの第一歩。方針を語らなければ邪魔をされないのだから。 - 結果を淡々とつくっていく
東・西・南・北・中央・天頂 で、ある意味において変化しない方向は西方だ。
西方は有形現実の結果で、目に見えた過去は残してしまえば変わることはない。盗みをはたらいたなら、盗みをはたらいたという過去の事実はありつづける。
北方は無形精神の結果だが 北方はいかようにも変化する。過去の経験に対して意味づけは今からでも変えることはできるのだから。
結果とは、今の積み重ねでしか得られない。
生月天冲殺の人は今(中央)、そして、そもそも南方・野望 が虚なわけだから 今の積み重ねでできた結果は想定外の方向にいく可能性が高い。それこそ生月天冲殺の「型」で「役目」なのだから どうしようもない。水に浮く何かのように流れのままにいる。環境に応じて その時その時で、その場に持ち合わせた心で対応をする。
野望は、それはそれとして
いまの自分の立場で それなりにできることを続けていく。
すると南方(夢) が 西方(結果) になっていることも。