【算命学勉強】枝葉を払うことの大切さ





算命学は 公式の「占技」の数も多いのですが、工夫すれば時代に合わせていかようにも新しい占技をつくることができる可能性を秘めています。



理論の型にのっとっていれば あるひとつの見方を もっともっと追求することができるのです。


授業も相当にハードモードになり、時折 「そこまで必要!?」というような 理論を煮詰めたような見方もあったりして、真面目に受け取ってしまう自分は「ざっくりみる」ということを忘れ 算命学を無邪気に学習していたときのほとばしるようなワクワクも霞んでしまった夏でした。






例えば年運天冲殺という見方において、
その年に、例題の人物が
誰のせいで どんな影響(十大主星)を受けるのか

具体的にみる手段など


ピンポイントで推測することができるんですね。


占者は算命学に惚れて学んでいると思うので、緻密さは 自分のプライベートにとってはとてもありがたいです。占者自身をみてみたり、クライアントの過去を推測するという点においては。

しかし近視眼的になりすぎてしまっても ものごとをざっくりと分類するという 陰陽五行説のコンセプトが台無しになってしまう。





大運天冲殺は 陽転・羽転・陰転 と3種の現れ方をしますが それぞれの現れ方において テクニックというか戒めが 細かくあることに圧倒されます。

しかし、まずその人物が 陽転・羽転・陰転、どの状況にあるのかは 当然目に見えません。条件があるので見込みを立てることはできるのですが。

その憶測に対し よりよく生きようと 小難しいテクニックを重ねても人生楽しいですか、と言いたい。大運天冲殺は通常20年。

その長い期間
憶測に憶測を重ねたなにかに縛られると息苦しくなってしまう。







予占では 具体的な仮説になればなるほど、それをクライアント(算命学を学んでいない人)へ 伝えることは慎重になった方がよいと自戒。




「あなたは来年 誰に対し こんな風に思うかもしれません」と まっさらなクライアントが聞いてしまったらもう元には戻れない。それで、その方らしい生き生きとした動きが 人為的に抑えられてしまうことこそを1番 恐れます。
みなさんご存知のとおり言葉というのは影響力を持ちます。言葉は形なので、無が有になったら聴覚や視覚が情報に反応して少なからず囚われてしまう。さして重要でない事柄を、算命学的分別のない人たちにむやみに話すことの危険さ。




算命学を人生の案内人にさせてはいけない。


歩いているのは生身の自分だ。


そして迷ったら算命学という地図をカバンから出せばいい。





授業で、高尾義政先生が紹介している技を あますことなく伝授していただけることはありがたいこと。


講師が気を使って些末な内容を淘汰してくれるお教室もあるけれど
数多な見方を紹介して「それらの枝葉を払っていくのは おまえらだぞ」というタイプの講師もいるんですね。




その授業のカラーは「講師が生徒だったら受けたい授業」なんだと思います。









こうやって 重箱の隅で息苦しくなって、


初級テキストを掘りおこし 十大主星や十二大従星を 追求するとリフレッシュできる。


テキストを読み返すたびに新しいテキストを読んでいるような気がするから勉強することは面白い。




  1. Today, dinner
    Cold noodles with braised pork and chopped gooey leaves.
  2. Soy braised pork with pine needles.


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