わたしが受けている算命学の授業のクラスには自分を入れて4名の生徒さんがいらっしゃるのですが、そのうち2名が宿命二冲殺です。わたしと、もうひとりは30代後半くらいの男性。
宿命二冲殺である確率は 1/36 学校の、1クラスに1人くらいの割合
授業では
宿命天冲殺 と 後天運天冲殺が重なる場合
大運天冲殺 と 年運天冲殺が重なる場合
のお話をされているときに
先生から所有者2人にインタビューがありました。
大運天冲殺 (南方・中央が無)
+
年運天冲殺 (東方・北方が無)
+
宿命生月冲殺 (南方・中央が無)
+
宿命生年冲殺 (東方・北方が無)
が重なると、その年は実際どんな感じでしたか?
「面白いから、もしブログとかやっているなら書いてみればww」と先生。
男性もわたしと同じく
初旬から移動して、第三.四旬が大運天冲殺。
男性の逸話は彼に任せるとして
今回は わたしの2014年と クワトロ天冲殺状態の2015年の様子を天冲殺という色眼鏡をかけて独白するという記事です。
当時は『天冲殺』という言葉すら知らず 四柱推命の『空亡』という言葉を知っているだけで その深い意味も知らず、どうやらこの2年は特殊な年らしい、という知識程度しかありませんでした。
ましてや大運天冲殺 突入 など、知る由もない。
(…わたしの大運天冲殺は移動していることも昨日知ったばかり)
仕事・住居・健康
● 大 運 第二旬 15歳 辛巳 禄存星 第三旬 25歳 庚辰 司禄星 (2015年) ◀︎ 大運天冲殺 第四旬 35歳 己卯 鳳閣星 ◀︎ 大運天冲殺 ● 年 運 2013年 23歳 癸巳 車騎星 2014年 24歳 甲午 玉堂星 ◀︎ 年運天冲殺 2015年 25歳 乙未 龍高星 ◀︎ 年運天冲殺 2016年 26歳 丙申 石門星
2014年 就職 & 引越し 2015年 2016年 2017年 退職
このように 2014年に年運が始まり
2015年から 大運天冲殺に入り、年運の天冲殺が重なったわけです。
この時期を一言で表すと「過大評価された年」
とくに不幸だとか思ったことはないですが、印象に残った年でした。
具体的に、
- 仕 事
✷ 就活もろくにしていない怠け者が卒業直前の2月、業界トップの老舗企業にトントン拍子で内定。
✷ 入社して間もなく、会社がかつてない動乱状態・大革命期に突入。
→ 今思えば、社長も午未天冲殺であった。
✷「10年の研修期間」の慣例をすっとばして、商品の制作を全く新しい手法で手掛けることに任命される。英語ベースの新しい手法なので先達は社内におらず、調べながらひとりで。
✷ 当時、会社を牽引していた先輩に気に入られ それがきっかけで2年目にはプロジェクトリーダーになってしまった。そして先輩は会社を去る。
✷ 海外からVIPが来ることが多く 頑張れば頑張るほど、気を遣えば遣うほど、空回り。
✷ 嫌なのに、土壇場状態でテレビの取材をうける。放映日の2chにエゴサーチをすると
「髪型ww」「いかにも本が好きですって感じ」など書かれ怯える。
↓ 当時の髪型はこれ! 気取ってるね。本読みそうだわ。
✷ 引っ越して1ヶ月後、鳩の溜まり場になる。早朝、鳩の鳴き声で起きる日々。そして巣作り。
→ 100均の材料でハンドメイドのハト除けを制作する。ワイヤーネットに結束バンドを無数にくっつけ剣山にして設置。(結束バンドなら鳩が当たっても致命傷にはならない)
✷ いろいろ悪臭。インターホン鳴らないなど設備トラブル。大家と喧嘩。管理会社、音信不通。
✷ 北向きのマンション。向かいは国道と大きな公園。ただでさえ暴走族がうるさかったのに、2015年にマンションの真前にコンビニができ騒音が激化。不眠に悩まされる。バイクの音がしたら心臓がバクバクするし、空耳も聞こえる。こういうのをノイローゼというのだろうか。
- 健 康
✷ 騒音による不眠
✷ 大人になって今更、アトピー性皮膚炎になった。顔はカサブタだらけ。
✷ 1年に3回 胃腸炎
✷ 2ヶ月に1度は風邪症状
✷ インフルエンザ
✷ 突発性難聴 (退社のきっかけ)
…診察券がどっと増えた。 - その他
✷ 初めて恋人の家から出勤する朝。初めて使う路線。 同じ車両に絶叫しながらウロウロしている狂人がいて、なんとなく「この人こっちにくる気がする」と感じると、本当にわたしの腕が置かれた手すりに片足をかけ、傘を突きつけられる。→ 咄嗟に隣のオジサンにしがみつく → 誰かに押さえつけられ車外へ連れ出される男……( 初めて乗った路線でよ、こんなことってある!? )
✷ 楽をしようと規則を破ると小さなことでも即バレして もっともっと面倒なことになる
………………
どれが天冲殺っぽかったな〜と、禍系のものを中心に箇条書きにしてみると結構いろいろあったんだな、と懐かしいです。病院の待合で既往歴を自慢し合うご老人みたいですね。仕事では過大評価され、(皆が思い描く)虚像に 自分の実務をなんとか合わせていく、自分を高くみせる作業がしんどかったなあ。
もちろん楽しいこともウキウキすることも大爆笑なことも たくさんありました。
自分で稼いだお金と時間だけはあって、旅行でいろんな土地に行きましたし ドイツ語も習いました。マンションの立地(だけ)は最高で、地産地消スーパー、輸入食品店を巡り 訪れた国の料理もいっぱい作りました。
友人が一人もいない 遠くの土地。カーテンがカビてしまうほど暗ぼったい、暴走族のバイクが聞こえる8畳間で
そのとき その場所 でしかできないことを それなりにして
よく部屋を訪れていた恋人は、「ナナは嫌だと言うかもしれないけど、あの部屋が好きだった」と言います。
わたしは この年がなければ、今は無い です。
こうやって文章をつくる礎も、生き方の骨格も、世渡りの基本的な知恵も、 社会に出たばかりの 2014-2015年の2年間にぎゅぎゅっと詰まっていたように感じます。この年は「ハード」だけでは済まされない、後に大きな実りをもたらす時間で、いまだにその恩恵を受けています。
天冲殺、という概念を差し置いても。
こういうことを実感しているので、
単に「天冲殺だから○○しちゃダメ」など短絡的な禁止のみを述べることは、長い目でみてその人の為になるかというと、せっかくの 人生の深色を摘んでしまいかねない、と感じていて、助言をする機会をいただくとその人物をみて慎重に言葉を選んでいます。
有形現実肉体においては 命を救うことも結果論としてあるかもしれない。
だから物理的なことは伝える。
けれど、人間としての重厚感、無形精神の深みは、振り返ると年運天冲殺によってグッと養われると思うんですね。
天冲殺は概念で、そもそも算命学も机上の論。
占者になんやかんや言われる以前に、もうすでに「そのまま」でしかないです。
その通りにあって、不自由ゆえに自由自在。
最も確かなのは 生身の自分。
算命学はあくまで杖で 歩くのは自分。杖は歩かない。杖はなくてもいい。
ちなみにわたしの先生は、天冲殺は「何もなかった」そうです。
そんなビビるもんでないんですよ。
今までのことを 今まで通りにやってればいい。
幸運♪ 不運… (泣)
ラッキー♪ アンラッキー
ラッキーカラー♪守護神♪
と、明をありがたがって 暗を疎外する 価値観の人にとって さほどハマらないコンテンツが算命学だと思います。
(もちろん、大衆向けに、面白くアレンジできる才をもつ鑑定士さんや経営者さんもいらっしゃいます。)