集合住宅で暮らすということは石門星の気を帯びるということ




集合住宅に住んでいる。先日、こどもの足音が気になると管理人さんを通して階下から苦情をうけとった。


どうやら夜中の2-3時に聞こえるらしいのだけど、眠っている子どもがその時間帯に布団からでたことは新生児の夜泣き以来、本気で1度もない。平日は保育園か、そうでないときは公園にいっているし、小さな体で3–5メートル走ること10秒未満を1日数回。苦情がくることが意外でショックだった。わたしたちの階には 3/7戸 に2歳児さんが住んでいるからそこからも響いてるのかもしれない。

わたしたち一家のありさまをどこかで見守ってくれている管理人さんは「こどもも生活の一部。どうかいつもどおり、おすごしください。」とその一言でホッとする。

けれど「音」に神経質になる階下の住人の状況がすごくよくわかる。以前のマンションは騒音が原因で引っ越した。住人じゃなく、神戸の国道沿のマンションに住んでいて向かいの大きな公園のとなりにコンビニがオープンした頃バイクと少年たちの叫び声に相当悩まされた。(そのマンションには天冲殺の年に入居したことを後に知る。)

だから椅子を引くにしても、「これも聞こえてるんじゃろか?」と気をつける。わたしたちが、既になんとも思わなくなっているタタタという小さな足音は、切り離された人からみれば、ただの煩いガキの音なのかもしれない。

一度、その音が自分にとって「害」というラベルがつくと、その音の程度が客観的に小さなものだとしても 害は害なのだ。むしろ確認行為をするように、ささいな音でも被害としてカウントしてしまう。蛇口からずっと流しっぱなしの大量の水より、ポタ..ポタ..と落ちる水の方が気になるものだ。

管理人さんの話を聞いているとその階下の住人もまた、飼い猫の侵入について他の部屋からクレームを寄せられているそうなのだ。うーん。



集合住宅で住む、ということは まさにこういうこと。


年齢も仕事も生い立ちも趣向も違うひとたちが集まって生活している。収入は同じくらいかもしれない。肉体の質も違う赤ちゃんからお年寄りまで生活している。

そして集合住宅とは「そういう場所」だと知りながら入居を決定する。

それは階下の住人や自分たちのどちらかに「我慢しろ」と強いるものではなくて。他所の生活音が気になることも、自分たちの生活音に苦情をもらい気を遣うことも、当然あることだと受け入れなくてはならない。嫌なら対策をするか、違う場所へ移るしかない。

住宅のありようについて、陰陽五行に落とし込むとわかりやすい。

戸建てに人が住むということは《甲木》の質に一致する。十大主星でいうと《貫索星》自分で自分を守りたいという本能から生まれた個の守り。お家のメンテナンスは都度費用を出して自分たちが責任を負っていく。樹木は植え替えにパワーとエネルギーが必要なように、戸建ての引越しは相当なエネルギーをつかう。建物は所有物なので外装も内装も自由。静では自由で、動では不自由。

集合住宅に人が住むということは《乙木》の質に一致する。十大主星では《石門星》仲間を使って自分を守りたいという本能から生まれた集の守り。建物のメンテナンスは家賃に含まれていて基本的なことは管理会社が責任を負う。草花はスコップと適時さえあれば、植え替えは容易にできる。その代わり、外も内も規則があり従わなければペナルティが発生する。動では自由で、静では不自由。


集合住宅を選択するということは、管理するということは、清濁合わせ呑むということだと思う。

雑草・土着の種・他力でたどり着いた種・自力でたどり着いた種 、多様な植物が土性に根を張り皆んなで群生している。清も濁も、好きも嫌いも分別なく入ってくるのだ。ただし、根付く環境が「手入れされた庭園」なのか「野山の木々の下」なのか「空き缶だらけの高架下」なのかは収入と少しの運によって変動する。


このような場合、乙木・石門の気を身につけて暮らすことが処世術になる。

それは 和合・協調・外柔内剛。


土に根を張る草花は、露出している面は見た目は清々しく柔らかい。風が右に吹けば右に、左に吹けば左に。一方、地中の根は風が吹いてもびくともしない。外側がたおやかであれば、敵をつくることはない。敵を作らないということは攻撃されないということ = 守り。外が多少傷ついても内側にしっかり根を張っていたら癒えるかもしれない。自分の住処(地中)で養生し、ご近所(地上)に挨拶をしたり身なりを整えて過ごしていれば守りが発揮される。

「あなた方ご夫婦が一生懸命子育てしているのを見ています。挨拶をしてくださいますし常識をお持ちだと知っています。」と管理人さん。それまで管理人が実は誰だかわからなかったけど、もしかして週に1度、マンションをお掃除しているあのご家族なのでは、とピンときた。抱えられた息子の寝顔を覗いて「寝てるな..」と静かに微笑んでくれるあのオジちゃんなんじゃないか、と。


挨拶の効能を、この年で初めて知る。












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