改革は莫大なエネルギーを要するそして猫を被ったり被らない話



陽の習得本能、龍高星は改良改革という意味合いをもつ。なぜ習得本能から生まれた星が改良改革という意に繋がるかというと「物事を知りうる」と既存のものを壊したくなるからだ。なので改良改革は破壊でもある。《改良改革》と一口に言っても、既存のものを壊し、新しいものを立ち上げるということは大変な労力を費やすこともある。それは既存のものに関わる人たちが多ければ多いほど、莫大なエネルギーを必要とする。


人は変わることが怖い。知らないことが怖い。「知らない=怖い=嫌」という方程式が生まれる。世界の改革(動乱期)のさなか、積極的に学び創造せず、守ることだけに熱を入れていれてきた人を動かすことは難しい。こちらが改革をしようとすると同じぶんだけ反発をくらう。
もちろん、守りに特化した人は、そこに役目がある。


わたしの師匠は龍高星の化身のような人物だから、龍高星を語るときは熱が入る。
「大きな組織にいた人ならわかるけど、組織の体勢を変えるということは、その組織が大きくなればなるほどめちゃくちゃ大変なことなの」と語る。

もう、この話には(こころの中で)めちゃくちゃ頭を縦にふっていた。老舗大企業の動乱期に立ち合った自分は、2015年の怒涛の会社員時代を想起する。




最中に師匠がふいに話を振ってきた。

「君は鼻っ柱が強いから、あの会社でもあっちで反発、こっちで反発ってやってきたんじゃない?どうですか?」と言われ驚いた。わたしは大多数の人から *柔らかい人物* にみられるらしい。そんなこともないのに。一人で飲みにいくし酒に強いと言うと初対面の人には驚かれるくらいだ。



「鼻っ柱が強い」なんて刺激的な形容をいただいたのは初めてのことだった。


「いや、大人しくみられる方ですよ。」とわたしが言うと「それ、猫かぶってるんですよ。」と師匠。

「それは先生が猫をかぶっていないからです」と返したらスルーされて(笑)授業が再開した。




師はとても正直で率直な人だ。思考即行動、のような人物で思ったことのほとんどは口に出す。だからと言って粗野な感じとか乱暴さは全く感じない。

教えを受けて間もないころは、急に質問をされると緊張して頭が真っ白になってしまい「んー、どうでしょう。」だとか 本当は自分の思考をたっぷりもっているくせに、「どうでしょう」とか、あるいはトンチンカンなことを言い放ってしまう。授業の後は毎度、師匠に自分の本来の思考をパッと返せないことに後悔して消えたくなっていた。


それから今日まで「この人物とは、この人がそうしているのと同じように生の思考をぶつけた方が面白そう」と自分の化けの皮を剥がすトレーニングをしてきた。

緊張感のある人間の前で 剥き出しの表現をできないのは 幼少期から身についた独特な処世術というか癖だし
(きっと親だとか目上や世間から、異常者だと思われることが 怖いのだろう)

師匠はとても正直な気質の持ち主で 
思ったことはそのまま口にするような剥き出しの人間なので
そういう人物と ほんまもんのコミュニケーションをとるなら
こちらだって丸裸になるしかないな、とつくづく思います。
本心を咄嗟に口言葉にできなくて悔しい、
と思うということは その人物と 本当のコミュニケーションを図りたいという意です。

それでも 役所の人など一度きりの人、 
本音を言ったとたん ムキになって攻撃体制になり こちら側のエネルギーを無駄に消耗することになりそうな人 (つまり、闘争という莫大な エネルギーを費やす価値がないとおもう相手) には 衣をかぶって生身を隠すのは 自分を守るために使う術です。

自分の化けの皮を剥がすのって とても難しい!
 一体 何枚かぶってるんだ? と 今日のようなことがあるたびに 毎度思う。

師という人物に会って間もない頃の私のブログ記事より




こちらからも師に対して 率直な質問をし、緊張感を伴いつつも偽りなく応答を重ねた結果、いつの間にか「鼻っ柱が強い」ということになっていた。車騎や天南が丸出しになってるのかもしれない。

猫の皮はつかいようだ。その人の人物像をみて猫化したり裸になってみたりする。

ちなみに十大主星の中で「猫をかぶる」といったら 石門星 や 牽牛星 のイメージ。石門星は自分の守るべきものを攻撃されないための猫被り。牽牛星は任務遂行(攻撃)の過程としての猫被り。




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