農家に泊まっていた。
その民泊の談話室には 「自分の人生を変えた一冊」という魅力的な120cmくらいの棚一段があって、そこにちょうど前日に買うか買わないかで迷った本が置いてあった。
合氣道の本だ。
こどもと訪れていたので 全ては読めなかったけれど
現代人の体
著者が合氣道に出会うまで
氣とは何か
など、そういうことが書いてあったと思う。
わたしは算命学を習っているから、算命学を介して 東洋思想に触れてきた。
そして、合氣道の思想は 算命学の思想 とよく似ていた。
読んでいて「うわ」「うわ」の連続だった。
根元が同じなんだね。
天地人三歳の理も、算命学だけのものではない。
正確な引用ではなく 記憶からの引用だけど こんなことが書いてあったよ。
天地は無限の半径で画いた無限の円周である (無限小の一点)
合氣道
これを集約したものが私であり、更に集約したものが臍下の丹田である。
この文章を読んだとき 脳の一点と一点がつながった。
命式とは無限に拡がる その一点
算命学
臍下丹田 = 命式 = 無限小の一点
なのかと思う。
臍下(せいか) 丹田という 物質を 割って 割って 割って その果ての最小の一点があり
そこから肉体なり「わたし」という我・・・範囲があり どんどん広がって
あなたがあり 地があり 天がある。
算命学の命式は その人物という宇宙を集約しているが
宇宙は拡がっているので
その人物の最小の一点にすぎない。
その人物がこの世に発露した その一点を符号化したもので
それを核として 他の気と融合していく
どんな気と融合しやすいのかは その核の質による
国家の気 土地の気 親兄弟の気 恋人の気 子の気 etc….
まるで野球ボールが コルクに糸が巻きついてできているように。
そのコルクの一部が「火」という質にあれば 火の形状に沿って糸が巻きつくだろうね、という仮説。
コルクを人間の知恵によって符号化したものが 命式なのだ。
命式には「本質」が記されている
本質とは、自分が何のために生まれて 何をして喜ぶのか のこと
だからその知恵をつかって鑑定士は、相談者に喜びのヒントを伝えることができるんだね。
腹からやりたいこと
陽占図は 人体星図という。
東・西・南・北・中央 / 若年期・壮年期・晩年期
という箱に ○○星が 入っている。
その東西南北中央は、このようにも置き換えられる。
(算命学を習得する場所によってはこちらがデフォルト)
左手・右手・腹・頭・胸 / 左肩・左足・右足
人体星図と言われるだけあって 箱が 体のパーツの名前になっている。
腹。
腹は南方にあたる。
南方はどんな場所か。
「精神の未来」という 一見、よそ者にはわからないことを教科書は言う。
(習いたてのこと私が「は?」と思ったから)
精神の始まり。といったほうが もっとわかりやすい。
行動以前の、思考以前の、ことの発端。みなもと。
動く前・考える前の 欲求。
命式を臍下丹田とするなら、
南方は 臍下丹田のなかの臍下丹田といってもいいんじゃないかな。
やりたいことは腹でわかる。
「何をして 自分が喜ぶのかわからない。」
という人があれば 東西南北中央をみるんだけど、
南方は とても大切。やりたさの最たる場所だから。
師匠は「東方が大切」と言っていたけど
(東方はお金の場所で、生きるための糧だから。
衣食住足りて、やりたいことができる、という考え方。)
もっと原初の
現実を考慮しない 「やりたさ」
思考や 野球ボールの糸(虚気) に汚されていない
自分でも驚きな欲望が 南方の十大主星なんだね。
この南方の「腹」の記事は
ずっとこのブログに書きたかったんだ。
自分の中で重んじているテーマだからこそ、育児と仕事の雑踏の中で書きたくなかった。
それが合氣道の本によって書きたさの追い風にのり、書く。
腹から決める
腹を据える
腹に落ちる
腹を括る
腹の割く
野生的な部分、人によっては知られたくない真っ裸の「腹」
次の記事は占いらしく星別に考察する。
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