退廃の美【天胡星】


きのう自分の外科手術だったんですね。生まれて初めての手術でした。
安静期間は2週間で、他人のことどころか自分のことさえ自分でできなくなるので一家で実家の静岡にやってきました。わたし以外の全員はいちご狩りに行っていて、静かです。

上半身の一部の手術だったので、いい感じに右の小指と薬指が痺れています。でもこうやってここに戻りブログに手をつけることができてホっとしています。




先週は5日ほどかけて十二大従星の教科書、12種のキャラクターの意味合いを咀嚼していました。

1年前に初めて手にしたその教科書はおそらく高尾先生の言葉主体で書かれているのですが、「これ何を言ってるのかわからない。胡散臭いな。」と読み流していた表現も、今では「こういう理屈でか!」と1年前から解像度が上がっていて、読み物としても面白いものになっていました。


こうやって身体の不自由さや痛みと共にベッドに横になっていると、算命学、十二大従星の天胡星の世界を回想します。


天将星がこの世でのピークで数理はMAXの 12点、そこを境に衰退* していくんですね。(点数の上下は多少ありますが)


天将(頭領) → 天堂(老人) → 天胡(病人) → 天極(死人) → 天庫(入墓) → ・・・

* この「病人」とか「死」…それが自分の命式にあるとドキっとしますが、人の一生を12に分けて、その12種類のキャラクターとエネルギーの強弱としての喩え表現で、これらの星があるから「=病気, 死」ではありません。


天将がマックスの12点に対し、天胡は4点です。

十二大従星で天将を通過し衰えゆく《退気》の星たちの世界観は、天将に向かいパワーが上昇する《進気》の星たちよりもデリケートで、理屈を携えて教科書をじっくり読まないと身旺のわたしには難解です。それらの星をもっていなければ、生身の身体で経験したこともないのですから。(この身体、死んだことも、墓に埋められたことも未だない)

とくにこの4つ。
天胡(病) 天極(死) 天庫(墓) 天馳(あの世)。


病気から死んで墓に入りあの世にいく。
この4つの星の共通点は、肉体が不自由あるいは消滅してしまっていることです。
肉体という入れ物がなくなり、取り残された霊魂の動き方に着目してキャラクター解釈をします。

精神的で退廃的な感覚。肉体よりも精神が研ぎ澄まされるこの時代。
肉体という限りがないため時も空間も飛び越えたアイディアと馬鹿力。





天胡星の世界観


体力(陽)を除外したところ(陰)に真価があり役割がある。


天胡の模範的なキーワードは
直感力(霊感ではない)、夢、空想、ロマン、美意識、
精神的に生きようとする、時間を超えた発想、人にものを頼むのが上手



身体が利かず臥褥している状態、身体はお布団にいるけど目を閉じれば精神は自由自在な状態。

布団の中で、過去の恋人に会っているかもしれないし、100年後の世界経済に投資していたり、外国のカフェでカプチーノを飲んでいるかもしれません。


教科書の天胡のページを読んでいると、わたしがもつ印象は「退廃の美」。
廃れの中に美学があるということです。
自分の衰えや痛み、死に向かう道を楽しんでいるかのような。


自分が入る骨壺をつくる ― 水上 勉 ―


小説家、水上勉のエピソード。彼は壮年期に天胡があります。

先生は幼い頃、禅寺で小僧さんをしていました。それがルーツになっているのか『土を喰う日々: わが精進12ヶ月』という精進料理のエッセイを書いておられ、わたしは飽食の時代にこの本を読んで《滋味》と《精進》の楽しみを知ったのです。水上先生、土くさいのにイケメンなんですよね〜

そんな水上勉は、道楽で自分が入る「骨壺」を作るのです。土選びから釈薬まで、全て自分で準備して窯で焼成します。自分の死すら演出する天胡っぷりを感じました。

九歳で京都の禅寺に入った私は、葬式や枕経をよみによくいったので、人の死には子供の時分から馴染んだと思う。(略) なぜに、苦労多い人生を果てたのに、オリジナルな壺に入って楽しまないのだろうか。

水上勉 / 骨壺の話 /集英社文庫





病すら自分の持ち味にしちゃう ― 樹木希林 ―


「天胡」と聞いてまっさきに思い浮かぶ著名人が彼女です。

(大女優の死は衝撃的で、ここに語るまでもなく…なのですが。)

眼球や乳房、体のあちらこちらの病を自分のものとし、それが彼女を一層味わい深い存在にしているところ。

がんがなかったら、私自身がつまらなく生きて、つまらなく死んでいったでしょう。そこそこの人生で終わった。

樹木希林 120の遺言 死ぬときくらい好きにさせてよ/ 宝島社

彼女は、
この世での始末、ものごとを減らすこと、去り際、死の準備が美しい。
晩年期に天胡があるから、なおのこと。




わたしは死ぬことや痛いことが怖くてたまらないです。小さい頃は自分の親が死ぬこと、そして自分もこの世からいなくなること、それなのに宇宙はあり続けることを考えて変な気持ちになり、親の布団に潜り込みました。

きのうも手術台で脈は上がり、手が震え、涙が出てきました。

わたしの頭の上にいる看護士さんは「みんなそうです」と静かに言ってくれました。



自分が病を患ったとき、
老いて身体が利かなくなったとき、
そして子供の時と同じく死に怯える時、

水上勉や樹木希林、養老孟司…
わたしは天胡星の持ち主の思想に救われてきました。


衰えや病気、そして死への見方がユニークなのです。


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