「適職」についての東洋的見方




算命学に「適職占技」という 働き方について特化した見方がある。



この適職占技とは、本来、「鳳閣星をお持ちだからマスコミ関連」だとか「龍高と禄存をお持ちなので、外科医」など、自分の本質(欲求)と 既存の職業をマッチングさせるものではない。また、現状が本質に合わないからと言って、転職を奨めるものでもない。


そういう 星と既成概念を 紐付けした見方も、生き方のヒントや応援、自己肯定になることも多々ある。転職希望や、自分の専門性が分からない、という相談者 がいれば、「報道関連はあっていますよ」という 助言は実務上、する。









けれど、もっと静かで 深く 、有限でありながら無限な 「適職」の考え方がある。
算命学らしい、東洋的な見方だな、と思う。
それを私の解釈を交えてお話する。


………….. テキ・かなう・ゆく・たまたま

  1. かなう。ふさわしい。あてはまる。
  2. 心にかなう。こころよい。
  3. ゆく。おもむく。
  4. たまたま。偶然。



算命学が考える 適職、とは..
自分に「あてはまる」職業
ではなくて、
職業に自分を「あてはめる」

あるいは

働き方(業)を自分でつくってしまう

という見方。



今の就労環境に自分の持ち味を最適化すると、どのような働き方になるだろうかね?そういうことを考えるのである。


自分にふさわしい職業を 既存の職業の連なりから見つけるのではなく、なんらかの仕事や絶対的環境において 自分にふさわしい在り方、持ち場をみつけること。あるいは「職業名」を超えて、仕事をつくってしまうこと、なんだ。



鳳閣星→ マスコミ
石門星→ 政治家

でもない。

マスコミという職業の中で、石門星をどう発揮していくか。政治家という立場で鳳閣星をどう発揮するか。そういう発想の仕方なんです。







それでは、不満のまま現状維持していくことが 是 なのか?

不満を脱したいのに。だから転職を悩んでいるのに!時間のムダだー!!!

それで実際、転職や退職するのも、よし。
時間は無形の財産だ。




けれども


転職するかどうか 仕事への適性を悩んでいるということは、「中途半端」な状態にいるあらわれなのではなかろうか。精神も、肉体も、突っ走る方向性を見出せなくて自分を生かせていない感じ。だから不満がある。


なら、今 この場から 形だけでも「中途半端」をやめてみる。



あーあ…. なんでこんな仕事に就いちゃったんだろう。
そんな不満な職場環境で 目の前の仕事を 自分ごととしてやってみる。
(ここで適職占技を活用することができる)




一生懸命の果てに
空っぽになるときが訪れる。

ここで言う 「一生懸命」とは、人によって 肉体をよく使う がむしゃらなやり方の人もいれば、頭脳を使って静かに効率化に励む人もいる。自分の生命力や仕事以外の時間を守るために業務の生産性を高めることへの注力もそうだし。「仕事とは?経済とは?」と自答し 自分なりのアンサーを求めていく哲学的な姿もそうだ。
人によって一生懸命(ベスト) のスタイルは異なる。ただ汗水たらして、量をこなした、残業をした = 一生懸命 とは限らない。人には人それぞれのエネルギーの量や配分、方向性があるのだから。




空っぽになったとき、とは



人によっては

嫌な仕事は嫌じゃなくなる、のかもしれないし

嫌な仕事は、生理的レベルで もっと嫌になるかもしれない。
そんな時は、嫌な仕事から逃げようか留まろうか、そういう「悩み」が占い師に相談するまでもなく霧散し、自動的にスッと次のステージに移る行動をしてしまうだろう。

実はこれがしたかったんだ。自分の働き方とは、これだ という悟りめいた何かが発現するかもしれない。





とりあえず、自分の才能を 環境の中で燃焼。



この間に 知ったこと、出会った人、身についた技術、悩みを抱えた経験、は 次のステージでも生きてくる。例え関連のないことであっても。華々しいことでなくても。




また 陰陽説の定義にのっとった発想の仕方をすれば

「男性の本質を知ろうとすれば、その視点を男性ではなく 女性に置いてみた方が より的確に考察することができる」という考え。

…. 陰の本質を知るには陽から眺める 陽の本質知るには陰から眺める、そういう一つの発想法。


自分で会社を立ち上げたければ、企業から眺める。
あるいは、企業のもどかしさ 全体を動かす大変さ フットワークの鈍さを知って、自分単独で事業を立ち上げようと思う。

生産性を上げるシステムをつくりたいのであれば 非生産的なポジションから眺める。「まじでこん回りくどいことをしているのか!!!」とイライラがパワーになったり、問題点を体感的に知ることができる。

利益第一主義の働き方にうんざりしたからこそ、それに対する 自分なりの経済哲学が浮かび上がる。

イケハヤ 的な都会や仕事から制約されない生活をしたければ 都会の窮屈さを味わってみる。
イケハヤさんだって、最初から高知にいたわけではない。高知に住むという原動力は東京での消耗生活から生じた発想のはずだ。

いまの不自由さ、うっぷんから あなたが求めるソレを眺めてみる。
ソレの本質を知る、チャンス でもある。


不満の蓄積、知識の蓄積、金銭の蓄積、もどかしさの蓄積は そのあと訪れるかもしれない改良改革のエナジーになりうるのだから。




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「置かれた場所で咲きなさい」 渡辺和子



何年か前に よく書店で平積みになっていたこの本は、タイトルのみを知るばかりで 内容は知らない。



このブログ記事は、
ずっと「置かれた場所で咲きなさい」を 推奨しているわけではない。
動くか動かないかは、その人の自由。


けれど

今、置かれた場所で とりあえず咲いたら
鳥や風が 次の場所に種子を運んでくれるよ、と言いたいのです。



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参考文献
・漢字ペディア https://www.kanjipedia.jp/kanji/0005005300

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