わたしが在籍していたデザイン学科は、3年生から広告・デザイン系とアート系(写真、イラストレーション、アニメーション)とで、傾向がざっくりと分かれていた。中間の子もいる。
就職活動にバリバリ着手しているのは広告系が多く、アート系はもうすこし穏やかと言いうか、あえて就活をしない道を選ぶ人も一定数いる。だからといって、あくまでデザイン学科の中の「アート」なので、油絵科や彫刻科のように大枠からファインアートというわけではない。なのでアート系でも就職を目指す人が大半なのだ。
わたしはデザインとアート、両方の授業を履修していたけど、就職活動が始まるとやはり雰囲気が違う。デザイン系はピリっとしている。授業前の話も[エントリー]とか[説明会]だとか、そういう単語が聞こえてくる。
4年生の必修科目の教室。アート系の授業。教室は8人くらいだった。就職活動で授業に遅れてきた生徒がいるのを踏まえ授業中に、しっとりと教授が言い放った。
就職をするのが目的だったら
ふつうの人と同じじゃないですか
これはその時の自分が今ここで浴びたかった言葉そのものであり、それを偶然にも教授が言葉にしてくれたので、ドキドキしながら手帳に書き留めた。
美大は世間から見て「ふつうでない」人がたくさんいるんだと思う。中でもアート系はその傾向。
この授業を必修科目で履修しているのならば 、
ふつうでないということが面白い作品 (つまり同じもので溢れかえる世の中で目を惹く作品)をつくる重要なエッセンスであり、ぼくの授業をとっているのなら、君ら自身もふつうでないところを目指しているのではないかそうではないのか、と教授は当たり前に期待していたのかもしれない。
そういう意図からの発言であってほしい。
大学は渡世のためだけの機関なのか。ちがう。
わたしたちの親の多くは、大学を出してやるのならばその分野を生かした職業に就いてほしいと願う。時代から生まれた願いだ。
従順な子は、そうしないと「モトをとれていないのでは。」と不甲斐ない気持ちになる。
いや、
大学生という「大義名分」で特有の自由すぎる時間を、内部・外部の活動問わず真剣に満喫し、そうやって磨かれた人間性はその先、どこかの企業の一員じゃなくても大学で得た専門知識と全く関係のない仕事についたとしても、主婦でも、無職でも、お金を自分で稼ぐ・稼がないどちらにしろ
大学時代という枠を出たその先に!自分の行為のはしばしに嫌でもでてくるので安心していいのだ。学費をかけた授業が、それと同じ分だけの価値があるとは限らない。
高等な知識や専門技術はもちろんのこと
セミナー、知性がある人との交際、オールの飲み会、麻雀、恋人と過ごす6畳、バイト、経済のやりくり、旅行、病床 etc… 自分の意思で、真剣にやったものならなんでも。
それはパンを作るという作業だけでもでてくる。
床のレシート屑を拾うその仕草。
金太郎飴みたいに、その人の、どこを切ってもその人がでてくる。
看護科で、採血の技術にこだわりがあった人はその人なりの
工学部で、半導体をいじっていた人はその人なりの
美術学部で、デッサンに明け暮れてた人はその人なりの
パンづくりをするのだと思う。
きみの自分はいやでもでてくるんだから。
by 教授