だれの小屋にも降り注ぐ光【命学と卜占】


占術というと、世間はどんなイメージをもつだろう? わたしがあらゆる乗り物を一括りにするように、全く興味がない人からすればその全てを一括りにすると思う。
スピリチュアル的な、神秘的な、賭け事、遊び…。


占術には種類がある。命、卜、相 etc..


共通点はどれも科学ではないということ。
師匠の言葉に「算命学は科学でも常識でもありません。病気になったら病院にいってください」というのがある。

命学である算命学や推命は、既に決められた思想というルールが中核としてあり、その範囲内にて仮説をつくりクライアントの環境と掛け合わせ、回答を探す。出た結果には (その思想の範囲内で) 根拠がある。

卜占であるタロットや易は、偶然性を中核とする。偶然の現象が机上に展開され、それが求めるメッセージであり回答であり、知性をつかってクライアントに伝える。命学とは違い、人の感情や環境など流動的なものを鑑定することができる。この手法は一般からみたら、偶然を頼りにしているのだから根拠はない。易に関しては、算命学と同じ陰陽思想・五行思想に収斂される。




算命学は占術というカテゴリーの中では、どこまでいっても「理」。それゆえ(?) 先達の姿を見ていると、説明のつかないものやスピリチュアルと混同されることを毛嫌いする傾向にあるなーと、感じる。


スピリチュアルという語は「超自然」すなわち、自然を超越するという意。
人間の目で観測されたものや思考で法則化された事柄を、超えるということだ。

supernatural .
ラテン語 supranaturalis = supra: 〜を超えた + naturalis: 自然

自然の法則を超えたこと、理性では説明のつかない神秘的なものごと

Wikipedia より

自然の法則(naturalis) を核にする算命学は超自然ではないと言える。しかし卜占やスピリチュアル的な手段と併用して商売をしている人も多くいらっしゃる。その中で算命学一本に拘る人もいて。ストイックな方ほど、算命学とそうでないものを区別したいというプライドもあるだろうし、一本にしないとこの果てしない学問の海を到底味わいきれない気もする。



彼らはよそ者にも星を見る権利があるとは思えず、どうして彼らに星が見えるのか、想像もつかない。そこで「なんらかの方法で、われわれから光を奪ったにちがいない」と考える。光は特定の派に属したり、征服されたりすることはなく、どんな小屋にも、彼らの小屋にさえ差し込むことがわかっていないのだ。

自己信頼 [SELF- RELIANCE] /Ralph Waldo Emerson /海と月社




けれど 算命学《人間小宇宙論》によって、78枚の紙だろうが竹だろうが 本日の夕飯だろうが 飲み屋で隣になった人の言葉ですら 一見偶然に見えるものでも、エマソンの言う光はどこにでも降り注ぐ。そこに強弱はあるにしろ。

光に気づく力を高尾先生* が仰る《透念気》なのでは。
*日本で算命学を体系化した人です。

15歳の時、この世界のことを考えて耽っていた。


理科の授業で「原子はなくならない」と聞いたなら、原子で構成される分子、分子で構成されるこの細胞、細胞で構成されるこの体も、宇宙を漂っていたことになるのかな、とか。


15歳のいくつかの発見の中で、交通も地理も地球も、細胞も身体も宇宙も 小から大細部から全体まで、構造が同じになるような傾向がある!という気づきは、少女なりにナイス洞察力であった。
飛行機から見下ろした地球に這う幹線は血管に見え、そこを走る米粒みたいな物流の車は身体のすみずみまで酸素を運ぶ赤血球に見えた。運ばれてきた酸素でエネルギーを燃やし、各自の役割をこなす。
海も河も 植物の年輪も プレートも マグマも 動物も 細胞も 変化がないようで、なにかしらがごにょごにょ動いていて、新旧交替で循環し、地球をナマモノにしてくれる。


この 大=小 の説がタロットの「偶然にしては当たる」にもあてはまるのかもしれない。場所と意味を仮設して、偶然に机に配置されたカードが、クライアントの内部外部の縮小版になるということだ。

こんなにタロットや易のことを書いているけど、わたしはどちらの使い手ではない。
タロットを習得している人は、「当たる仕組み」というのを授業で習うのかな?


15歳の説と同じことを算命学の思想が言っているので、わたしは飛び込んでいまここにいる。

宇宙に存在しているあらゆる物、事象は、宇宙と同じ構造を所有している。




Little Column


朝、引き出しを漁って、思いつきでスパイスクッキーを作りました。
歯が揃わない1歳児にもナッツを食べてもらいたいのでアーモンド叩いて粉にします。
香りものは、シナモン・八角・胡椒・バニラビーンズ・チューブの生姜。
甘みは冷凍保存の玄米甘酒のキューブときび砂糖少し、
油分はココナッツオイルで、小麦粉と合わせサックリ混ぜます。

クッキー型は持っていないので、円筒にした生地を息子と一緒に包丁で切るチャレンジをしました。子供用の包丁ですが、息子だけではまだまだ危ない。
サポートする私は力み、息子は切断に夢中です。

焼けたクッキーはかなり堅く、滋味深いものになりました。
アーモンドより堅いかもしれない。それでも1歳児は食べていました。





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