二元論を超越する

きのうは自分にがっかりした。
ひとつ前の記事で十二大従星「赤ちゃんの時代=天恍星」と誤った。
しかもタイトルから!赤ちゃんの時代は天印星。

基本的なことを…恥ずかしいな。ご覧になった人は「?」と思っただろうに。
こんなビギナーのとちりに、誰かつっこんでくれたら有り難いです。
わたしは勢いで文章を投稿するし、うっかり屋だから、よく間違えるかもしれない。





きょうは、アメリカ合衆国 マサチューセッツ州の エマソンの引用文から。

エマソンは、鈴木大拙の青年時代にも大きな影響を与えている。
今年一番、しかも人生で三本の指に入るほど私を豊かにしてくれた『森の生活』の著書、ソローとも親交が深くて、わたしはエマソンをソローから紹介してもらった。
エマソンが所有している森で、ソローは小屋を建てて実験的生活を始めたんだよね。

『森の生活』と鈴木大拙の『東洋的な見方』は同じ時に購入し、並行でいったりきたり読んでいた。(東洋的な見方は、難解で、スルメを噛みしめるように読んでいるので未だ読み切っていない)
偶然にも、このふたつの本にエマソンが登場し、わたしは歓喜した。このとびきりの縁に、エマソンを読まざるを得なくなり論文集を購入する。

思いもしないところで点と点が繋がる現象が、よくある。
ソローを知ったのは、年始に読んだ カル・ニューポート著『デジタル・ミニマリスト』だ。
これだから勢いまかせの読書はやめられない。その本に宝がなくても、地図は落ちてるかもしれないから。

会社員の時も、マサチューセッツ在住の方と仕事をしていたし、多くの州がある中で、とかく「マサチューセッツ」を引き当てる。


しばらくの間は師の精神を学ぶことで、自分の知力も成長したように感じるかもしれない。しかし未熟な者はこうした分類を盲信し、その分類をいずれは使い古される手段ではなく、究極の目的と捉える。そして自分が属する一派に限界はなく、師の理論は全宇宙にあてはまると思い込む。

自己信頼 [SELF- RELIANCE] /Ralph Waldo Emerson /海と月社

少し堅い話をすると、
算命学は、古代中国で生まれた 陰陽・五行思想に暦術思考が加わり、改良されて現在に至る。まず説(思想)があり、論が生まれ、論を証明するための手段としての法(占技)なのだ。

算命学にも《神》と称されるものはある。教科書に《神》と出てきたときは身構えてしまったけど、それは《大自然の法則》なのだという。それはキ教やイ教の一神教の神様と違い、崇めるものでも信じるものでも強制されるものでも、ない。「ただ、それ。」なだけ。本来、良いも悪いも言わない。ただ、そう。なだけ。


現代に於いては、
この自然の法則を知り、従う人が尊いわけじゃない。
算命学をものにしたからとて、エライわけじゃない。

さっき、NHK BSでアイヌと屈斜路湖が流れていて目が奪われた。
産卵期を迎え、からだを婚姻色と呼ばれる紅いっぱいにした鮭が、流れに逆流していた。
水の流れに任せることが自然の法則なら、この鮭はなんだっていうんだ。
自然の法則に逆らうことすら、自然だろう。

算命学は「自然の法則にしたがえ」とは言わない。
それが算命学に惚れた理由。


不運は悪くて・幸運は良い、という考えの不自由さ。
幸運一色なら、それは不運だろう。



算命学の根底は、分類なのだけど、(陰陽、天地人、四季、五行、方角…)
分類するのは人間の脳の一機能である。
分類するもの・されるものも、脳で橋渡しされた世界のことだけれど、脳の「区別」を司る領野を取り除いたらどうなるか。あなたも私もなくなって、皮膚と空間の境もなくなって、ひとつながりになる。
主と従を線引きしているのも、脳の機能だから。


人間という肉体をつかって進歩発展するには知性(分類)が必要。
よくわからないものには恐怖を感じるようになっていて、それを排除しようと法則化、情報化させる。それが人間の自然。


よくわからないものっていう名無しの世界がもうここにあるということ。



年末にわたしが手術のため、風邪予防に息子は保育園をお休みしています。
ブログを書き始めた時に限り、いつもより早く起床するのでげっそり(笑
『ぐりとぐら』を読んでいて思いつきでカステラをつくりました。
カステラを前に『ぐりとぐら』を足蹴にしてとびついたゲンキンな彼です。






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